緋色流 レビュー&考察

鑑賞したアニメや洋画のレビュー、考察などをするブログです。

Key作品Angel Beats!考察 "人間らしさ"を取り戻した音無の最後

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Angel Beats!キャラクター考察第二弾。今回は主人公の音無君について考察していきますよ。


音無と言えばAB最終回での行動が印象的なキャラクターだった。そう、よりにもよってあのタイミングでヒロインのかなでに告白したのだ。結果、あの行動は賛否両論を巻き起こし、「最終回までは良かったけど、音無だけ取り残される結末はどうなのよ」みたいな声も少なくない。実際、あの時の音無の行動は批判対象の一つで、放送終了後も2chではボロクソに叩かれていた。

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"なぜ、音無は最後に告白したのか?"、"なぜ音無の行動を叩く人が出たのか?"、彼の人格や生前に触れつつ考察していこうじゃないか。


そもそもABの悪いところに、"人物描写が浅い"っていうのがある。あれだけ大勢のキャラクターがいるわりには、きちんとその人物を描けてないのである。この悪かった点は後のCharlotteで改善されているだろう。

キャラクターに対して批判が注ぐのは、"視聴者がそのキャラクターについて理解出来ていない"ということで、それはキャラクターがきちんと描かれていないということになる。もっとも、キャラクターがきちんと描かれていても、そのキャラクターに感情移入出来るかどうかは別だが。

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つまり、音無の"人格"も理解出来ていないのだろう。


①「音無結弦は"ダメな奴"という見方」


まず、多くの人がこう認識しているかどうか非常に気になる。管理人からすれば、基本的に音無結弦は"ダメな奴"という認識だ。

生前の音無は、入院中の妹(初音)の様子を見に病院に通っていた。

初音は入院しているため、学校には通えない。そんな中、初音は音無に対して"学校は楽しいか"と聞くが、音無は"楽しくない"と言う。学校に憧れを持つ妹に、なんて回答をするんだろう。音無に悪気があったわけではないし、"妹が期待して後でがっかりする"という流れを避けたかったのかもしれない。

「学校ってすごく楽しい場所だからさ、お前も早く治して通えるようになれよ」と答えるのが正しいかどうかはわからない。だからと言って、"憧れをぶち壊すような回答をするか"という話である。

何にせよ学校に対して憧れを抱く病弱な妹に、「学校なんか楽しくねえよ」と答えるのが音無結弦なのだ。

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もう一つ、最終回での音無の行動について。

「ゆりやひなたのように報われない人生を送ってきた奴らがまたこの世界に住み着いて"生"に抗い続けるだろ」

「でも俺とかなでが残っていれば、そいつらに生きる良さを教えてやってこの世界から卒業出来るかもしれない」

「だからさ、一緒に残ろうぜ!」

卒業式後、音無がかなでに誘った言葉を要約するとこんな感じである。

さらにその後かなでに告白するわけだが、知っての通りかなでの返事は"ありがとう"で、音無の申し出を半ば拒否した形でもあった。

百歩譲って、初音との絡みは"ただの鈍感男"でいいかもしれないが、最後の音無の行動はダメダメだろう。理由はどうであれ最終的に音無の行動は"生きることを拒んでいる"のだ。彼自身にそういうつもりはないのかもしれない。"かなでのことが好きだから一緒に残る"、"あの世界に住み着く人がもう二度と現れなくするためにかなでと一緒に残る"。

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そこにどんな理由があろうがABは"再生"をテーマにした作品、最後の最後になって主人公が「ここに残らないか?」と言うのは「生きるのから逃げないか?」と同じ意味を含んでいる。前述した通り音無自身にはそういうつもりはなかったのかもしれないが、他のメンバーを再び人生に立ち向かわせておいて本人はあの世界に残りたいと言うのだ。それに、新しくあの世界に来た連中を卒業させたいと言いつつも、自分は愛するかなでと残り続けるって幾ら何でも都合の良い考えだろう。


これこそが"音無はダメな奴"なんだなと思った大きな理由だ。

まあでも、それだけだと音無が可哀想なのでもう一つ"ダメな奴"以外の見方をまとめてみよう。


②「音無は"徐々に人間らしくなっている"という見方」

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以前どこかの記事で音無は自己中心主義だったのではないかという指摘されていた。そういう見方もいいだろう。ただ"自己中心主義"と言っても、常に絶対そうであったとは言えない。例えば最終回での行動、自己中心的な部分が最後の最後になって出てきてしまったのではないだろうか。

"自己中心的な部分が出てきた"だと聞こえが悪いから、"人間らしい部分が出てきた"に変えるべきかもしれない。元々AB序盤の音無は、周りに合わせて行動してるだけだった。記憶が戻ったのもあるが、徐々に自分の考えを出せるようになっていた。

話数を重ねていくうちに人間らしさが増し、最後の最後になって"あの世界に留まりたい"という一番人間らしい"欲"みたいなものが現れたのかもしれない。「ここに残らないか?」=「生きるのから逃げないか?」と前述したが、これは"かなでと一緒にいたい"という"欲"である。また、"新しい生"を拒んだように見える音無の発言は、単純に彼の弱い部分(人間らしさ)が出てきたのかもしれない。

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まとめたのは2つだけだが、音無は人間らしいキャラクターじゃないかと思う。特に話が進めば進むほど、その人間らしい部分が出てきてるのが特徴じゃないだろうか。そもそも"人間らしさ"のないキャラクターだったらあんな最後にはならなかっただろう。

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Key作品Angel Beats!考察 ゆりっぺにある沙耶と恭介の面影

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Angel Beats!の記事は色々まとめてきたが、"キャラクター考察"はやってなかったんで今回は仲村ゆりについて考察していこう。

 
仲村ゆりとは、ポンコツばかりの戦線メンバーをまとめたリーダーである。
 
そもそもABの物語が成り立ったのは、ゆりっぺが神に抗い始めたからだ。
「神への復讐。その最前線」。
これがABのキャッチコピーだが、"神は生のメタファー"でもあり、理不尽な人生を歩んできたゆりっぺは、神を拒む。それは再び生きることを拒否しているのと同じだ。神は拗らせた青春時代を送ってきた人間を"死んだ世界"に招いていた。神は救済させようとしているのだが、ゆりっぺに従う戦線メンバーは同じくそれを拒む。良くも悪くも彼女の考えに影響されたせいだろう。

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他のキャラクターの考えは分からないが、ゆりっぺは一貫して"理不尽だった人生"を受け入れようとしない。思えば天使こと立華かなでの方が"死んだ世界"がどういう場所なのかきちんと理解していた気がする。"激しい怒り"を持って神に対抗する世界ではなく、神自身が報われない人生を送ってきた彼らに同情し、青春を取り戻すチャンスを与えているのだ。かなではそれを理解し、生前送れなかった"まともな学生生活"をあの世界で味わっていた。
 
それに対しゆりっぺは、かなでを神の使いだと思い込み、"立華かなで=天使"と戦線メンバーに教えている。その結果、"死んだ世界"の役割である"救済"が活きなくなったのである。
天使に消されまいと行動していたため、何をするのにも大掛かりになってしまった。これが後の"オペレーション"。

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しかし、その割にはゆりっぺの提案する"オペレーション"には無駄な労力が必要で効率も悪い。
例えばオペレーショントルネードだ。「いや、お前ら既に死んでるんだから食券くらいであんなに労力使わなくてよくね?!」と突っ込んでいる人がたまにいる。ぐうの音も出ない、全くもってその通りである。オペレーショントルネードに限った話じゃないが、ゆりっぺの提案する作戦は何かと大変な目に合うことが多い(死なないとはいえ)。
 
言ってしまえば、ゆりっぺは全能ではなく、むしろポンコツ部分が多いということだ。これは朱鷺戸沙耶からゆりっぺに受け継がれた"遺伝子"だろう。

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朱鷺戸沙耶リトルバスターズ!エクスタシーに登場するヒロイン、声優は櫻井h...おっと失礼、風音さんでした(アニメ版の声優は櫻井浩美さん)。
因みにゆりっぺのキャスティングはオファーではなくオーディションで、櫻井さんが実力で勝ち取ったものだとだーまえが公言している。
とはいえ地下(ギルド)に行く流れや、ツンデレ的な発言、何回も死んだり(死にかける)など似たような部分も多い。
 
そもそもエクスタシーとABの製作時期は被っていたのではないかと指摘されることがある。エクスタシーの初回販売日は2008年だが、ABも企画自体は放送開始(2010年)の数年前からあった。
沙耶が登場するのはエクスタシーのみだが、非常に人気があることで有名で以前公式が行なったKeyキャラクターランキングでは3位に君臨していた。更に、だーまえリトバスのキャラクターの中で沙耶が一番のお気に入りらしい。そう、"作り手とファンの利害が一致している"キャラクターなのだ。ファンの間でも人気があった沙耶の"遺伝子"をゆりっぺに取り入れたのだろう。

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ベース部分の多くは沙耶から来ているのかもしれないが、ゆりっぺの"葛藤"は違う。これは棗恭介から来ているものだろう。正確には違う、恭介で描けなかった"葛藤"をゆりっぺに出そうとしたのだ。

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直枝理樹と棗鈴の目線で進むリトバスは、恭介の抱えていた"葛藤や苦悩"の全貌が分かるわけではない。むしろその逆で、なんでもスマートにこなす"みんなのリーダー"として描かれている。実際はただの高校生、スマートに見えて苦労や失敗も多かっただろう。前述した通り、理樹の目線だとそれらは恭介が隠しているため、分かりづらい。
それに対しゆりっぺは、リーダーであることに責任を感じつつ、生前の自分はいかに無力だったかなどを描いている。決して全能ではなく、ミスも多い。恭介との違いは、恭介のように理樹の目を通してキャラクター像が分かるのではなく、ゆりっぺ目線(主人公)で物語が進むということや、具体的な葛藤が描かれていることだろう。
特に12話では、彼女の抱えていた葛藤が分かりやすく描かれている。"姉としてのゆりっぺ"、"リーダーとしてのゆりっぺ"、"一人の少女(学生)としてのゆりっぺ"など、沙耶や恭介以上に様々な面を見せてくれる。
戦線メンバー全員に共通することだが、"理不尽な人生"が、自分の人生なんだと受け入れなくてはならない。これを受け入れられず一番葛藤していたのがゆりっぺだろう。最終的に彼女の抱えていた葛藤を含めた問題は解決する。
最終回、音無から「リーダーっぽくなくなったな!」と言われるが、その表情は、自分の役目を果たした後の恭介によく似ているんじゃないだろうか。

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仲村ゆりは、朱鷺戸沙耶と棗恭介を"遺伝子"を掛け合わせ、改良して誕生したのかもしれない。
 
ここまで考察してきて言うのもあれだが、ゆりっぺのモデルになったキャラクターは沙耶や恭介ではなくペルソナ4に登場する天城雪子である。管理人はペルソナをプレイしたことないので天城雪子さんについてはよく分からないが、おそらくゆりっぺのデザイン面のモデルではないかと思われる。

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因みにABの元ネタ作品である「灰羽連盟」にゆりっぺみたいなキャラクターはいないので、キャラクター像は別で、影響を受けたのは設定面だけだろう。

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Key作品考察 AIR Angel Beats! Charlotte 生まれ変わり三部作という捉え方

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 ⚠︎この記事では、AIR、Angel Beats!、Charlotteのネタバレを含んでいます。

 
ABとCharlotteを一括りにする人は少なくない。制作会社がP.A.WORKSで、どちらもオリジナルアニメ。
しかしその一方で、CharlotteとABのストーリーが似ているかと言われれば違う。時々、"CharlotteはABのキャラクターが生まれ変わった話"と言う人もいるが・・・
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それはさておき、以前フォロワーさんから「CharlotteAIRのリブート作品(ソースは不明)」という話を聞いた。どこ情報か不明なため根拠はないが、非常に興味深いことだと思う。
実は管理人も、CharlotteAIRと同じ話だと思っているからだ。
"CharlotteAIRのリブート"っていうのは設定面的に無理のある話だが、そういう考えがあるのは面白い。
 
ということは、生まれ変わりを描いているAIRAngel Beats!Charlotte は"輪廻転生三部作"ということになるじゃないか。
 
「三作品に共通する人によって受け取り方の違う"結末"」
 
例えばAIR。原作をプレイした京アニ製作陣は、AIRを"ハッピーエンド"だと捉えている。それに対し東映版の製作陣は"悲劇の物語"だと捉えたそうだ。明らかに最後の受け取り方が違っている。「せっかく親子関係になれたのに、観鈴が死んでしまうなんて悲しい」と思ったのかもしれない。

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ABもそうだ。最終回、音無以外のメンバーは"消えた"のに、主人公だけが取り残されてしまった。その後、EDの演出では音無は消えているしCパートでは生まれ変わった音無らしき人物が描かれている。にも関わらず、それも人によって"受け取り方の変わる結末"で、音無があの世界に留まっているという考えも少なくない。もっとも、公式曰く音無は消えたと明言しているが、ANOTHER EPILOGUEのせいで"音無は消えてないんじゃないか"と考えるのも無理はない。

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AIRやABはともかく、どう考えてもCharlotteはハッピーエンドでしょ」と思っている人は多いかもしれないが、果たして本当にそうだろうか。
一見するとCharlotteのラストは希望的だが、それはあの一瞬だけで、乙坂と友利のその後の人生は苦痛ばかりで、Charlotte本編以上の試練が待ち構えているかもしれない。冷静に考えれば分かることで、乙坂は世界中の(元)能力者を敵に回して賞金首になっているのだ。恨みを買いまくっているんだから、いつ狙われても不思議じゃない。
確かにCharlotteの最終回自体はハッピーエンドかもしれないが、その後については最終回の受け取り方次第で、意見が割れてくるだろう。
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もっとも、これは生まれ変わりの物語だからこそ、言えることでもある。なぜなら最終的に生まれ変わりに必要なのは"消失"だからだ。何かが消えて新しい物語がスタートする。"消失"は、"観鈴の死"、"戦線メンバーの卒業"、"カンニング魔だった時の乙坂の人格の死"のことである。AIRAngel Beats!Charlotteに限った話じゃないが、"Key作品はループ"と言う人がいる。それは、輪廻転生を描いていたり、最終的に物語がリスタートする部分が、"Key作品ってループだけどループじゃない"と言われる理由なのかもしれない。
 
「三作品は限りなく違う"生まれ変わり"の物語」
とはいえ、いくら三作品が生まれ変わりを描いているとまとめても違いがあるので、適当に分析してみよう。

まずはAIRから。AIRでは長く続いてきた"呪いの元凶(SUMMER編)"をきちんと描いている。補完的な話かもしれないが、ABやCharlotteにはこうした"元凶"のお話は本編に必要ないため描かれていない。しかしAIRの場合、"何度も繰り返してきた"ということを頭にインプットするため、SUMMER編は極めて大事な役割を持っていただろう。"生と死"を繰り返し、最終的に観鈴は解放され、再び生きる。設定は複雑かもしれないが、これが一番シンプルな輪廻転生ストーリーだ。
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次にAB。ABは輪廻転生における"中間"を描いている。彼らの存在している世界は、"前世"でもなければ"来世"でもない。その中間にあたる"死んだ世界"なのだ。
死んだ世界にいる戦線メンバーは、ゆりっぺに影響され"神への復讐"に囚われていた。"神"は"生"のメタファーでもあり、神に抗うという行為自体が、生きることへの拒否である。
AIRのように、呪いのせいで強制的に輪廻転生を繰り返す現象はなく、受け入れた者から速やかにあの世界から退場し、生まれ変わることが出来る。実際は、長居し過ぎたせいで、高松がNPC化するというプチ悲劇が起きた。
輪廻転生の"過程"とも言える部分、"再生"をフューチャーした物語がABだろう。
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最後にCharlotteCharlotteで生まれ変わるのは主人公の乙坂だ。しかし彼の場合、観鈴のように物理的に死ぬわけではない。能力者回収の役目を終えた乙坂は記憶を失い、かつての人格は消え失せていた。カンニング魔だった彼は死んだのだ。つまり、能力の代償に記憶を払った結果、人格が生まれ変わった。乙坂が能力者回収の旅から解放されるのと、観鈴が夢の呪いから解放されるのはよく似ていると考えている。例えば旅の途中、乙坂の記憶が錯乱し友利との約束を忘れかけるが、同じように観鈴が晴子が誰なのか分からなくなったりする。指摘こそされないが、厳しい試練によって頭が混乱するのは二人の共通点だ。乙坂の"約束"も、観鈴の"ゴール"と似たようなものだろう。個人的にこういうところがCharlotteAIRのリブートと言われる由来だと思っている。
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つまり、AIRは物理的に生まれ変わる話で、ABは生まれ変わりの途中経過、Charlotteは人格的に生まれ変わる話なのだ。
麻枝准のテーマ「どんな困難なことがあっても諦めず一生懸命生きよう」にハマる形で出来たのが、再び"生"に立ち向かう"生まれ変わり三部作"だったのかもしれない。
 
AIRより前に、MOON.、ONE〜輝く季節へ〜Kanonがあるし、だーまえが影響を受けた作品はきっとたくさんあるだろう。それでも、AIRはABとCharlotteの原点的作品なんだなと思う今日この頃。
それを踏まえた上でこの二つの記事を読んでもらえると幸いです。

Key作品考察 名雪が持っていた観鈴&渚とは違うもう一つの"黄金の心"

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一応前回の続きなのでこちらの記事を読んでもらえると幸いです。

Key作品考察 観鈴と渚が持っていた"黄金の心" 2人にあって他ヒロインにないものとは→http://hiirow.hatenablog.com/entry/2018/03/12/132410


前回の記事を要約すると、困難な状況下でも純粋な心を保ち続ける人間は、例え純粋な心によって愚かな決断を下しても、その生き様こそが美しい。これこそが"黄金の心"であり、観鈴と渚の共通している部分である。

前回書いたので、"黄金の心"の説明は手短に済まそう。

黄金の心とは、「純粋な心を保ち続ける女性が、立て続けに"理不尽な不幸"に直面し、純粋な心によって愚かな決断を下す」という流れを"美しい"と言わんばかりに作っている作品。監督は、"鬱作品"を作ることでお馴染みのラース・フォン・トリアー

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前回の記事では、"黄金の心"に当てはまらないヒロインの名をいくつかあげた。棗鈴、仲村ゆり、友利奈緒の3人だ。あの記事では、比較対象として意図的に外したヒロインがいる。そう、今回考察していく"水瀬名雪"だ。

もしかすると、前回の記事を読んだ方の中には、「あれ、黄金の心って名雪も持っているんじゃないか?」と思った人もいるかもしれない。

確かに名雪は、理不尽な状況下でも純粋な心を保ち続けている。

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そもそも名雪目線でKanonを捉えると、"名雪自身は何も悪くない"のに対して、"名雪が「理不尽な不幸」に遭遇することが多い。これは、トリアーの「黄金の心三部作」及び、観鈴や渚と同じパターンである。


例えば7年前の雪うさぎの件。

どこからどう考えても名雪は悪くない。むしろ名雪の"純粋な心"が、あの雪うさぎを作ったのだ。残念ながら、主人公の祐一に拒絶されてしまう。名雪の"純粋な心がもたらした理不尽な結果"だろう。

祐一が街から去っても、名雪は純粋な心を保ち続けていたため、彼に手紙を出していたが返事はない。名雪が純粋な心を失っていれば、相沢祐一が"どういう人間"なのかを学び、彼に期待はしなくなるだろう。

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秋子さんの事故もそうだが、基本的に名雪は悪くないのだ。しかも、名雪は多くを望んでいるわけではない。彼女の場合、秋子さんと祐一さえいれば幸せは満たされている。特に秋子さんは別格で、理不尽な出来事に直面しても秋子さんがいれば純粋な心を保ち続けることが出来たのだろう。

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観鈴&渚との違い」


分かりやすく"黄金の心"を描いている観鈴&渚と、名雪は何が違うのか。それは"誰かのために行動しているか、自分のために行動しているか"の違いだろう。

思えば名雪の行動は「祐一が困っているから、私も手伝わないと」が多い。純粋な心によって、そういう行動を取っていたのかもしれない。その一方で、観鈴と渚は純粋な心によって、愚かな決断を下していた。しかもそれは、"誰かのために"ではなく、"自分自身の願いのために"である。"観鈴の往人と遊びたい"や、"渚の汐を産みたい"などの"明確な意志"があって行動をしていた。そもそも名雪観鈴や渚ほど愚かな決断を下していないのではないか?

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これこそが名雪が"黄金の心"を持っているか判断しにくい最大のポイントだろう。つまり、名雪は"純粋な心"を持っていたものの、とりわけ"自身の願いを優先にして愚かな決断を下す"というのがないように思える点だ。


名雪自身は、祐一と秋子さんがいればそれなりに満足しているのかもしれない。もっとも、祐一が他ヒロインと絡んでいる現場を見ておきながら、特に突っ込まない辺り、それはそれで純粋な心が愚かな決断(祐一を尊重するということ)を下していると言えなくはないが・・・


多分、名雪からすれば祐一を優先しているわけではなく、今の関係を保ち続けることを意識していたんじゃないだろうか。現状維持だ。

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それに対しトリアーの「黄金の心三部作」に登場する女性キャラクターは、関係が悪化することをそれほど恐れていない節がある。観鈴や渚もそうだ

一体渚は何を考えていたんだろう。出産で自分が死ねば、朋也と渚の関係はそこで終わる。関係が破滅しようが純粋な心が愚かな決断を下す。

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結局は、名雪も"黄金の心"を持っていると管理人は考えている。困難な状況下でも純粋な心を保ち続けているし、時には純粋な心が愚かな決断を下しているからだ。他のヒロインのことなんて放っておけば良いものの、現状を悪くしないように名雪は愚かな決断を下す。やはり観鈴や渚と同じく、この流れが名雪の"良さ"でもある。

観鈴や渚との違いは、名雪は"保守的な黄金の心"を持っていることだろう。攻めるに攻めた"革新的な黄金の心"を所持しているのが観鈴と渚だ。


もちろん、常に保守的というわけではない。秋子さんが事故にあった時、7年前から名雪が溜め込んできた様々な思いが溢れ出てくる。あの展開は決して保守的とは言えないだろう。

ただ、時々名雪から垣間見られる"自己犠牲"な部分は、"保守的な黄金の心"が影響しているのかもしれない。

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余談だが、トリアーの「黄金の心三部作」の一つであるダンサー・イン・ザ・ダークでは、遺伝性の病で視力が失われつつある母親(主人公)と、母親からの遺伝によって、既にメガネをかけた息子が登場する。

これだけでも理不尽なような気がするが、本編中盤辺りで息子の目の治療のために貯めてきたお金を親しかった友人に騙され、盗まれてしまう(元々貧しい設定)。この展開までは多くのことを望まず、名雪と同じように"保守的な黄金の心"だったのだが、これ以降は、なりふり構っていられなくなったのか、主人公は"革新的な黄金の心"に変わる。結局、お金を盗まれてからは"怒涛の不幸ラッシュ"、"黄金の心"に変化が訪れようが、この映画の結末は一見すると最低最悪でしかない。

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とはいえこれを踏まえると、今後名雪に理不尽な不幸が降り注いだら、保守的から観鈴や渚のような革新的な黄金の心に変わる可能性もあるのだ。


何にせよ、名雪が持っていた"黄金の心"は観鈴や渚とは違っていても、その姿は観鈴や渚と同じように美しかっただろう。また、同じ"黄金の心"でも、観鈴&渚みたいに"自分の意思や願いを優先にする"というわけではなかったのかもしれない。

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Key作品考察 観鈴と渚が持っていた"黄金の心" 2人にあって他ヒロインにないものとは

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⚠︎ この記事では、AIRCLANNADのネタバレをしています。


言わずと知れたKeyのヒロインの神尾観鈴古河渚

"観鈴と渚が似ている"と考えている人はどのくらいいるだろうか?

また、そう考えてる人の理由は何か。

観鈴も渚もkey特有の不思議病になるから」

CLANNADに登場する幻想世界の少女のキャスティングが観鈴と同じく、川上とも子さんだったから」

「2ルートとも、麻枝准の良さがあって、半生を描いているから」

これらが間違いだとは思わない。むしろ、こういう部分が観鈴と渚の類似性としてあげられるポイントだろう。だが管理人的には、観鈴と渚に共通している一番のポイントは"黄金の心"だと考えている。

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"黄金の心"は、映画監督兼脚本家のラース・フォン・トリアーが作ったジャンルである。

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ラース・フォン・トリアーとは、デンマークを代表する映画監督で、度々世間を騒がす作品を作っては、各国の映画祭を総なめにする鬼才。

彼の作る作品は、所謂「鬱作品」や「後味の悪い作品」ばかり。ヲタク的に有名な「鬱作品」と言えば、「ぼくらの」、「School Days」、「エルフェンリート」、「惡の華」「NHKにようこそ!」、「魔法少女まどか☆マギカ」、「カイバ」、「灰羽連盟」、「無限のリヴァイアス」などだが、はっきり言ってトリアーの作品とは比較にならないだろう。

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彼が作る作品はもっと暗いし重い、しかも報われない結末を迎える。それは、まるで"臨死体験"のようで、一度見たら脳裏を離れることはない。彼の作品を見て「もう二度と見ない・・・」と言う人も少なくないレベルだ。

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↑↑↑

ラース・フォン・トリアーの鬱三部作の一つ「メランコリア」のポスター。


そんなトリアーが作る作品の中に「黄金の心三部作」というものがある。「奇跡の海」「イディオッツ」「ダンサー・イン・ザ・ダーク」の3作で形成されている。

「困難な状況下でも純粋な心を保ち続ける女性を主人公にしたのが"黄金の心三部作"」

以上が"黄金の三部作"のテーマ。

これだけ聞くと「なんだ、どうせよくある女性主人公のストーリーで、なんだかんだ"良い話"なんだろ」って思ったかもしれないが、全然違う。

実際は、「純粋な心を持ち合わせる女性が、立て続けに"理不尽な不幸"に直面し、純粋な心によって愚かな決断を下す」というのが流れで、それこそが"美しい"と言わんばかりに作られている"悪趣味で最低最悪の作品"だ(作品のクオリティ自体は非常に高い)。

興味がある人、特に春休みに突入して時間がある学生さんはぜひ見てください。

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前述したが、観鈴と渚は"黄金の心"を持っている。

困難な状況下に陥っても、純粋な心を失わない。そしてその純粋さが愚かな決断をする。理不尽なことに立ち向かう姿、"黄金の心"を持っていたから、観鈴と渚は美しかった。

あらかじめ書いておくが、愚かな決断が間違った判断だと言いたいわけではない。


例えば観鈴の場合、発作が起きる可能性を分かった上で、主人公の国崎往人と遊ぼうとする。純粋な心が、"遊びたい"という思いを強くする反面、これは"愚か"でもある。往人や晴子さんに迷惑をかけるし、何より"発作"が起きるかもしれないということを理解してるからだ。それでも往人と"遊びたい"。"純粋な心"が"愚かな選択"をしてしまうのだ。

もし、観鈴の心が純粋でなければ、一度発作が起きたらその事を学び、人との関わりは極力避け、塞ぎ込んだまま死ぬだろう。

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渚も同じだ。自分の体が弱いことを分かった上で、"汐を出産する"という選択をした。"純粋な心"のせいで、"愚かな決断"を下し、渚は死んだ。この"愚かな決断"によって、渚を失った朋也は、しばらくの間、自暴自棄になってしまった。

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結果的にAIRCLANNADも報われた"結末"だったが、それはあくまで結果論だ。観鈴と渚は、"自分の身"より"自分の願い"を優先しているのが明確である。勘違いしそうだが、"自己犠牲の精神"とは違う。あくまで、観鈴と渚には明確な意志があって、誰かのために自分の命をかける"ヒーロー"とは別。そもそもだーまえの作るキャラクターにヒーローはいない。


だーまえの"テーマ"である「どんな困難ことがあっても一生懸命生きよう」と、黄金の心三部作の"テーマ"「困難な状況下でも純粋な心を保ち続ける女性」は、非常に似ていて相性も良い。

そもそも、観鈴と渚は一方的に体が弱り苦しんでいくが、よくよく考えてみれば理不尽極まりないことだろう。黄金の心三部作に登場する女性も同じで、頑張って生きてるのに苦しむことが多い。

とはいえ、トリアーの定義した"黄金の心"は、素人目には判断が難しい。なので、観鈴と渚は"黄金の心"を持っているのに対し、他のkeyヒロインはどうなのか分析してみよう。

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まずは棗鈴から。彼女は純粋な心を持っているが、観鈴や渚のような黄金の心を持っているとは言えない。

そもそも、"黄金の心"における困難な状況下と言うのは、守りたくても守れない状況である。常に理樹やら恭介たちに守られてきた鈴は、"黄金の心"に当てはまらない。観鈴と渚は、体が弱っていくのをどうすることも出来なかった。観鈴の場合、往人の力によって延命するものの、"観鈴が苦しむ"ということが延期されただけで"回避"したわけじゃない。また、"理不尽な状況下に陥り、一方的に鈴が苦しむ"描写がリトバスにはない。

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次に仲村ゆり。ここまで記事を読んでもらうとゆりっぺを含めて死んだ世界戦線メンバーが"黄金の心"を持っているように思えなくもない。

理不尽な人生を歩み、その理不尽だった人生に"怒り"を抱いている。こう言っちゃあれだが、ゆりっぺの考えが間違い(愚かな決断)だった時もあるかもしれない。でも結局は、ゆりっぺも"黄金の心"じゃないだろう。

彼女の人生が理不尽だったのは生前で、死んだ今となっては関係ない話だからだ。"天使との戦い"が、観鈴や渚が味わっていたような"困難な状況だった"とは言い難い。食券を巻き上げるたびに戦いが起きていたが、"不幸が連続した"とかはなかったので、やはりゆりっぺは"黄金の心"じゃない。ただし、ゆりっぺの生前は"黄金の心"だったかもしれない。

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最後に、友利奈緒と比較しよう。友利は絶対に違う。理不尽に直面するのは友利ではなく"乙坂"の担当であるからだ。彼女の人生に理不尽な不幸があるかないかは別だが、Charlotteは乙坂の物語で、友利が理不尽なことに抗い続ける作品じゃない。どちらかと言うと"黄金の心"を持っているのは乙坂なのだ。ただし、男性キャラクターは"黄金の心"を持たないと定義されているので、乙坂を含めて主人公連中は全員該当しない。

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とりあえず、"黄金の心"に当てはまらない3人を例に出した。では逆に、観鈴や渚のように当てはまるのは誰か。例えばAIRの晴子さんや、「智代アフター」の智代がそうかもしれない。

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ただ、"黄金の心"の定義が曖昧なため、観鈴や渚ほどはっきりと当てはまるかと言われると難しい。やはり、観鈴と渚は一番分かりやすく"黄金の心"を描いているだろう。だーまえが"黄金の心"を知っているとは思えないが、AIRCLANNADの全盛期、「key作品って鬱っぽいからなー」と言われることがあった。そう言う人はkeyを理解していないんだろうし、今ほど作品の種類がなかったため、"黄金の心"の描写によってそう思っていたのかもしれない。


管理人的に思うのは、"困難な状況下でも純粋な心を保ち続ける人間は、例え純粋な心によって愚かな決断を下しても、その生き様こそが美しい"のだ。そしてこの"美しさ"が、観鈴と渚の共通点じゃないだろうか。

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key作品考察 Angel Beats!とCharlotte 優れているのはどちらなのか問題

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前回行った、リトルバスターズ!Angel Beats!の比較考察記事の評判が良かったので、今回はAngel Beats!Charlotte verをやっていきます。

 Key作品考察 ABとリトバス 似てるようで似てない2作品の違い→http://hiirow.hatenablog.com/entry/2018/02/27/123933


"CharlotteはABの反省を活かして作った"と麻枝准ことだーまえは公言しているし、ファンの間でもそれは有名な話だ。しかし、その割には、"ABよりCharlotteの方が優れている"という評価をあまり聞かない。実際、某アニメレビューサイトでは、CharlotteよりABの方が圧倒的に評価が高い。もっとも、悲しいことにまとめサイト等では、"どっちもクソだ"なんて意見ばかりだ。

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2作品のどの辺りが"優れているか劣っているか"、また、"CharlotteはABの反省が活かされているか"などを考察してみよう。因みに管理人が好きなのはABです。

 

①「キャラクターの描き方」

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キャラクターの描き方が優れていたのはどちらか。これはもう圧倒的にCharlotteだろう。ABは、キャラクターが多いのにも関わらず、その魅力を引き出せていたのはごく一部だけだ。椎名やTKのようなキャラクターを一瞬で退場させたのはいかがなものかと思う。ゆりっぺをこよなく愛していた野田が、あっさり消えるなんておかしくないか?

また、AB放送終了後、音無への批判が酷かったが、それも音無結弦という"人物"をきちんと描くことが出来ず、視聴者に伝えることが出来なかったせいだろう。Wikipediaによると、主人公は音無とゆりと記されているが、"ゆりっぺのポジションも、主人公なのかメインヒロインなのかはっきりしていてない"という指摘も少なくなかった。一応公式サイトによると主人公は音無になっているが、そこら辺のキャラクターバランスが悪かったのは否めない。

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その一方で、Charlotteではそれらの問題が改善されている。

音無のように、最終回で批判を浴びないようにするため、主人公乙坂有宇が"いかにダメなやつ"かを1話の時点で分かりやすく描いた。最初から"ダメな人間"だと認識していれば、"みたらしモード"になっても反感を買わないで済むからだ。

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キャラクターも出来るだけ減らし、高城や柚咲も徹底してサブキャラクターの位置を貫いていた。乙坂の成長を描くため、他のキャラクターは目立たないようにしていたのだ。

唯一の問題点は、乙坂よりヒロインの友利に人気が出てしまったことだが、それでもABよりキャラクターの描き方は良くなっていただろう。

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②「ストーリー展開と無駄な回」


正直、これはどちらが優れているか判断するのが難しい。

ABはテンポの速い脚本だった。個性のアホを活かしてボケを放り込み、テンポ良く音無がツッコミを入れる。その割には、何度も天使と戦っては、ギルドに行ったりなどの、同じ行動の繰り返しが目立っていたが・・・

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良くも悪くも、リズミカルな会話が続いていた印象だ。基本的な流れはCharlotteも同じだった。

しかし、Charlotteには必要ない回が目立っていたような気がする。だーまえも言っていたが、どう考えても野球回はいらなかっただろう。野球回での尺を、乙坂の能力者回収の旅で使えたらCharlotteはかなり変わっていたんじゃないだろうか。ABとCharlotteは最終回にかけての展開が荒かったが、ただでさえ1クールで短いんだから、必要ない回は短くまとめるか割愛するべきだった。

とてもじゃないが、Charlotteのラストの流れは、ABの反省を活かして作られたとは思えない。ABは終盤の展開にも批判が多かったのだ。ABの反省を活かしているなら、Charlotteはもっと丁寧に描いていただろう。"最後の展開が唐突すぎる"とあやねるに言われるのも無理はない。

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③「設定と世界観」


ABは、あの独特な世界観における、矛盾だらけの曖昧な設定が批判対象だった。批判対象になってしまったのはしょうがないが、管理人からすれば、あの世界観や設定がABの魅力だと思っている。とはいえ、ABの元ネタ的作品、灰羽連盟とkeyの個性を組み合わせるのが難しかったのかもしれない。

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それに対し、Charlotteの設定や世界観は、従来のkey作品の中でも比較的簡単だった。というか、"分かりやすい"設定にしたんだろう。

やはりこれは、"ABの反省が活かされていた"と言っても良いのではないだろうか。


④「サウンドトラックと作中歌」

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Key作品と言えば、やはり"音楽"だろう。OPEDも含めて、挿入歌、サントラ、全てが最高にクールだ。

しかし、Charlotteは"音楽"の使い方が、従来のkey作品と比べてかなり微妙だったと思っている。例えば、最終回で流れる「君の文字」。良い曲だが、使用されるのは最後だけ。なんて勿体無いんだ。アレンジバージョンがサントラに収録されているが、それらの使用回数も少ない。

ZHIENDやハロハロも、"もっと活躍してほしかった"というのが本音である。乙坂の成長に関係がないと、ZHIENDやハロハロの設定を活かせないのは残念だった。ABのガルデモの方が、美味しい部分を持っていただろう。

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それだけじゃない。Charlotteはサントラがイマイチだった。例えば、ABの場合「Theme of SSS」を流せば、良い演出にもなるし、視聴者側も熱くなっていた。しかしCharlotteには、場を盛り上げる印象的なサントラはあまりなかったのではないか。もちろん、Charlotteにも素晴らしい曲(サントラ)はあるが、管理人が言いたいのは音楽の使い方がABより微妙だったということだ。

これはABからCharlotteにかけて、悪くなってしまったことだと思っている。正直、Charlotteが他のkey作品に比べて感動しないのは、ストーリー云々を除けば、音楽の使い方のせいじゃないだろうか。

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とりあえず、4つの項目でABとCharlotteを比較してみた(あくまで、管理人個人の考え)。比べた点は4つだけだが、結局、2作品にそれほど"差"はなかったのかもしれない。


一番大事なのは、作品のクオリティではなく、"自分がその作品を愛しているか"だ。

「例えレベルが低い作品でも、自分がその作品を愛し、応援していれば、作品のクオリティや他者から評価なんてどうでもいい。」

Keyに限った話じゃないが、これを頭に留めておくのが大事なのだ。

どんな作品にも"大なり小なり、良いところも悪いところもある"ので、ABやCharlotteに批判があるのもしょうがないが、我々鍵っ子はきちんとそれを受け止め、2作品を応援し続けよう。

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Key最新作サマポケ考察 ストーリーとキャラクター考察

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さて、今回はkey最新作のSummer Pockets考察第二弾をやっていきたいと思う。前回の考察からだいぶ時間が空いたので、その間にキャラクター関連の情報は色々解禁された。今回はキャラクターとストーリー考察をしていこう。

Key最新作考察 Summer Pocketsについて 古き良き作品はウケるのか→http://hiirow.hatenablog.com/entry/2018/02/15/141622

まず、声優について。今のところだが、key常連声優の名はない。新人声優の起用も目立っている。

あくまで個人的なイメージだが、keyは同じ声優をよく使う印象がある。key曰く、贔屓してるつもりはないそうだが、やはり"作り手の抱くキャラクター像"が全体的に似ていて、声優も同じ人になりがちだったのかもしれない。

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観鈴のイメージは佐祐理さんから来ている。

 

①「CV花澤香菜はどこにいったのか問題」

多くの鍵っ子が、サマポケの声優を見た時に思ったのはこれである。「あれ?はなざーさんどこいった??」

そう思うのも無理はない。ティザーのナレーションが花澤さんだったため、CV花澤香菜を多くの人が連想したのだ。また、"鳴瀬しろは"のビジュアルが、Angel Beats!の"立華奏"にやや似ているのも影響しているだろう。

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結局、今の段階では"花澤香菜"はクレジットされていない。花澤さんの出番は、ティザーのナレーションだけだったのか。いや、そう決めつけるのはまだ早い。

 

②「イナリこと"謎の生物枠"のCVは誰か」

 

サマポケにも来たか、"謎の生物枠"が。名前はイナリ、一応狐らしいがどう見ても狐ではない。

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key作品には、度々得体の知れない生物が登場する。謎の生物の役割は作品によって違うが、サマポケは販売前からイナリの詳細が明かされているので、それなりに出番のあるキャラクターなのかもしれない。

唯一公開されたキャラクターの中でCVが不明なのは、イナリ。まあ普通に考えれば、イナリのCVこそが花澤香菜かもしれない。

もし、イナリの声優が花澤香菜ではなかった場合、誰が演じるのか。個人的にあり得るかなと思うのは"鈴木このみ"さん。鈴木このみさんはサマポケのOPを歌っている。歌手としてのイメージが強いが、実は声優もやっているのだ。keyは本業歌手の人に、声優を頼むことはよくある。

例えば謎の生物枠(?)だと、リトバスに登場するドルジ(一応猫)。カメオ出演だが、ドルジの中の人は言わずと知れたLiaだった。

f:id:hiirow:20180308111102j:plainイナリのCVは、花澤香菜鈴木このみじゃない可能性も全然あるし、”???”はプレイしたらわかることなので、気長に待とう。

 

③「高松(高城)現る!?加納天膳について」

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Twitterでも非常に話題になった、こちらのキャラクター。その見た目が高城&高松に似ているから話題になったのだ。てっきりCharlotte以降、"高◯"というキャラクターが、ファンサービス的な感覚で登場するのかと思っていた("斎藤"みたいな感じで)。

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高◯と違って、CVは水島大宙さんじゃない。つまり完全オリジナルで高城&高松とは完全に別キャラクターなわけだ。そうなってくると心配なのは、"加納天膳が高◯と差別化出来ているのか"という点である。

高◯枠だったら、わざわざ加納天膳なんて名前にしないだろう。同じようなキャラクターではなく、高◯とは違った個性がどれだけ出てくるかに注目したい。

 

ここからは、キャッチコピーとストーリーについて考察していく。

 

「眩しさだけは、忘れなかった。」

 

以上がサマポケのキャッチコピーである。すでにこのキャッチコピーから、「主人公は記憶を失うんじゃないか」や「主人公は視力を失うんじゃないか」とか色々言われている。

このキャッチコピーは一旦置いておこう。

サマポケのあらすじ的に、ストーリーはKanonに似ているんじゃないだろうか。Kanon同様に、主人公は"一部の記憶を封印(忘れている)している説"だ。

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家庭の事情に北国(雪の街)の叔母の家に居候することになった相沢祐一(主人公)。7年前まではよく訪れていたにも関わらず、彼は当時のことを忘れていた。そんな中、ヒロインたちと交流を深め、幼い頃の記憶を取り戻していく。

以上がKanonのあらすじだ。

サマポケのあらすじも書こう。

亡くなった祖母の遺品整理のために、夏休みを利用して鳥白島にやってきた主人公の鷹原羽依里。

祖母の思い出の品の片付けを手伝いながら、初めて触れる島の生活に戸惑いつつも順応していく。

 

これがサマポケのあらすじ(一部)。

"親戚に関係ある場所に行く"というのがKanonとサマポケの共通点だ。

まず、Kanon相沢祐一は、"雪の街"に訪れた経験がある。それに対し、サマポケの鷹原羽依里は、"初めて島の生活"に触れるようだ。果たして本当に初めてなのか?"祖母の遺品整理"をするようだが、もし、島に訪れたことがないなら祖母との交流もそれほどなかっただろう。

個人的に思ったのは、実は"初めて"ではなく、相沢祐一同様、"以前訪れているんじゃないか"だ。幼い頃は、よく島に訪れていて、祖母に可愛がられていた。ただ忘れているだけ。もしくは、何らかの事故で記憶を封印した。もしそうなら、ヒロインの中には、かつて訪れた時に出会っている可能性がある。忘れているのは主人公だけでヒロインは覚えてるかもしれない。

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あくまで仮説だが、サマポケのあらすじを聞いた時、真っ先に思い浮かんだのはKanonだ。

まあ、本当に初めて訪れるのかもしれないが・・・

 

サマポケのあらすじのラストに「この夏休みが終わらなければいいのにと、そう思った。」というのがある。ん?リトバスかい?

これじゃあ、まるでリトルバスターズじゃないか。リトバスのキャラクターたちは"楽しい今がずっと続けばいいのに"と願っていた。

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ぶっ飛んだ考えだが、サマポケは、"実は主人公以外のキャラクターは死んでたオチ"とか?あるいは、その逆とか?"死んでるのは祖母だけじゃなかった"みたいな。

夏休みというのは、必ず"終わり"があるものなので"終わらないでほしい"と思うのは、普通だが・・・

でも、これをあらすじに書くということは、"夏休みの終わり"とは別の"終わり"があるのかもしれない。

 

「眩しさだけは、忘れなかった。」

 

これは夏休みを終えた後、主人公の頭の中にあるものだろうか。何となくだが、"島=幻"とか、"実はみんな死んでた"などの"オチ"があるから、このキャッチコピーではないかと思う。

 

なかなかぶっ飛んだ考察(もはや妄想)になってしまったが、key作品だし、怒涛の展開を迎えることは確かだろう。

サマポケ発売まで、残り4ヶ月。不安やら疑問やらは尽きないが、楽しみに待とう。

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