緋色流 レビュー&考察

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key作品考察 Angel Beats!とはなんだったのか 製作陣の狙いとは??鬼門はCLANNAD超えだった

hiirow.hatenablog.com

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Angel Beats!とはP.A.WORKSによって作られた、key初のオリジナルアニメである。脚本を書いたのは、だーまえこと麻枝准

 

賛否両論はっきり分かれた作品だが、ABから鍵っ子になった人も多い。新しいkey作品なのだ。

 

製作陣の狙いは"新規ファン"を獲得することだけだったのか。違う、それだけじゃない。

 

当時のPAは今ほど知名度もなかった。今でこそ、TARI TARISHIROBAKO凪のあすから花咲くいろは、Another 等が有名だが、ABより前のPA作品はtrue tearsCANAANしかない。そんな駆け出し途中だったPAは、だーまえとkeyに何を期待して何を目標に掲げていたのか。

 

P.A.WORKSの名を上げる作品、そしてその作品でCLANNADを超える」

 

まず、"PAの名を上げる作品"だ。keyには実績があった。過去に駆け出し途中だった制作会社の名を上げている。そう、言わず知れた"京都アニメーション"である。今となっては、涼宮ハルヒの憂鬱けいおん!らき☆すた、日常、中二病でも恋がしたい!、氷菓響け!ユーフォニアム等があるが出世作は間違いなく、keyのAIRなのだ。そもそもAIRが売れたからこそKanonCLANNADがある(俗に言う"伝説の京アニ三部作"の誕生でもある)。

ABはAIRのような役割を果たしてほしかったのだろう。もちろん、今考えればPA出世作true tearsなのかもしれない。でもABがある程度ヒットしたからCharlotteが出来たとも言える。それなりにAIR的役割は、果たしていたんじゃないだろうか。

 

大変なのはもう一つの目標、"CLANNAD超え"である。これには製作陣もだーまえも相当頭を悩ませたに違いない。f:id:hiirow:20180211124117j:plain

ABの企画自体、かなり前からあったらしいが作り手として、ライターとしてCLANNADを含めた過去作のクオリティを超えなきゃならないのは当たり前だ。

 

そうやって頭を悩ませて出来たのが、"既に死んでる"設定。これは従来のkey作品と比較すると、かなり現実的になったとも言える。なんてたって今までのkey作品と言えば、"超自然的な力(奇跡)"の発生によって、全てが丸く収まるパターンが多かった。多くのキャラクターは、自らを奇跡を起こし、そして幸せな人生を歩んでいる。それに対してABのキャラクターは、奇跡はおろか不幸まみれの人生を終えているではないか。彼らの人生に"奇跡"なんてなかった。

 

"CLANNADは人生"とはよく言われたものだが、ある意味ABの方が"人生"について描いている。もっとも"CLANNADは人生"はものの例えなので、あまりマジレスするのはやめておこう。

 

岡崎朋也古河渚の"半生"を描いた作品を"人生"と呼ぶより、不幸まみれの人生→死んだ世界での葛藤→そして新たな人生を歩んでゆく過程の方が"人生"と言えるんじゃないだろうか。

そもそもABのキャッチコピーは「麻枝准が綴る、最高の人生賛歌」。このキャッチコピーは明らかにCLANNADを意識している。

 

 

PAの"目標は、かなりハードルの高いものだった。それだけ、keyと麻枝准に期待していたのかもしれない。そして"CLANNAD超え"は簡単には出来ない。"CLANNAD"という作品はkeyにとっても難敵になっているのだ。

賛否両論あるABだが、何はともあれこの作品から鍵っ子が増えたのは喜ばしい。

Angel Beats!考察②へ続く。