Key作品考察 なぜリトバスのテーマは"兄弟愛"ではなく"友情"なのか
⚠︎この記事にはリトルバスターズ!のネタバレを含んでいます。
さて、今回考察するのはリトルバスターズ!ことリトバス。前回上げたABの記事同様、主にリトバスのメイン"テーマ"について指摘していく。
これは自分にとって、リトバスの詳細が公開された当時からの疑問でもある。
タイトルの通りだが、なぜリトバスのテーマは"友情"なのか。この手のゲームにしては明らかに珍しい、というか異質な分野でもある。
そもそもkey作品は、"友情"より"兄弟愛"を描くことに定評があった。"兄弟愛"というのはリトバスより前の作品、Kanon、AIR、CLANNADにも存在していて"伝統"の一つでもある。因みにリトバス以降の作品にも"兄弟愛"は度々描かれてる。ほぼ必ずと言っていいほど、"兄弟"の存在がストーリーやキャラクターたちに大きな影響を与えているのだ。
リトバスにも"兄弟"が登場する。"神北小毬と神北拓也"、"三枝葉留佳と二木佳奈多"、そして"棗鈴と棗恭介"の3組だ。この3組に共通しているのは"兄/姉が妹を守ろう"としている構図。そして3組が持ち合わせている"兄弟愛"は変わっている。
まず小毬ちゃんの場合、自分自身を守るためとはいえ"兄の存在"を思い出したり忘れたりを繰り返している。しまいには理樹を兄だと認識するような状態だ。(幾ら何でも兄を忘れてしまっては愛もへったくれもない。)それでも拓也が妹を守ろうとしていたのは確かだろう。
二木佳奈多の場合"愛のすれ違い"だった。愛しているがゆえに、守りたいがゆえに、どうすることも出来ず、冷たい態度を取り"妹"を避ける以外の方法がなかった。そうやって妹を守るのだ。Kanonに登場する"美坂栞と美坂香里"の姉妹もまさにこれと同じ。
一番ぶっ飛んでいるのは"鈴と恭介"。恭介は愛する妹を守るために、"ループ世界"を生み出し、仲間を巻き込んで、自ら憎まれ役を買って無理にでも鈴を"独り立ち"させようとした。かなり強引な手段なのだ。
おかしな"兄弟愛"なのは事実だが、兄/姉は必死に妹を守ろうしている。こればかりは確実。
ここからが本題。それだけ"兄弟愛"について描かれているのにも関わらず、なぜリトバスのテーマは"友情"なのかという点である。
捉え方によっては、理樹と恭介、理樹と真人、理樹と謙吾、西園美魚と西園美鳥などの"擬似兄弟"を描いていたとも考えられる。もっとも、これは指摘し始めたらキリがないのでやめておこう。
仮説だがリトバスという作品は、意図的に"家族や兄弟"等のテーマは外したのではないだろうか。よく仲の良い兄弟は"一種の親友"みたいな存在になるという話を聞く。例えばAIRの"美凪とみちる"の関係は、姉妹でもあり親友でもあった。リトバスの"三枝葉留佳と二木佳奈多"だって、最終的には仲の良い姉妹になっていた。これも姉妹だけど"親友"という関係に近いのではないだろうか。むろん、"鈴と恭介"も親友系兄弟の一つである。
親しい"兄弟"には、"友情"が存在しているということだろう。
また、AIRやCLANNADで大きく"家族"を題材にしているため、マンネリ化を恐れた製作陣が、万人ウケの良さそうな"友情"をテーマに切り替え、"家族愛や恋愛"描写は控えた可能性も考えられる。
もう一つの可能性は、CLANNADで描かれていた"岡崎朋也と春原陽平"の"友情"、そして"春原陽平と春原芽衣"のような"兄弟愛"を描きたかったというもの。これも大いにありえると思う、春原の人気は侮れない。
リトバスはよくある"ヒューマンドラマ"や"ラブストーリー"をあえて外し、「全ての生物に"友情"は芽生える」と言いたかったのかもしれない。例えその相手が兄弟だろうが、恋人だろうが、動物だろうがそれは変わらない。