緋色流 レビュー&考察

鑑賞したアニメや洋画のレビュー、考察などをするブログです。

Key作品考察 麻枝准とファン 双方の求める作品が一致するとは限らない

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今回の記事では麻枝准こと、だーまえを焦点にし考察していきます。

 

http://mharayaruo.blog.fc2.com/blog-entry-42.html?sp

この記事では、Charlotteの総括をしつつ、だーまえの作風などがまとめてある。非常に興味深い記事になっているのでよければ読んでください。

 

さて、先の記事を読まなくても多くの鍵っ子が気付いている通り、"だーまえが描きたい作品"と"ファンが求める作品"は必ずしも一致しないということについて。

このような"ファンとの相違"は、作り手にはよくあることで珍しいことじゃない。例えば、監督兼脚本家のジョージ・ルーカスもこのような相違関係だった。

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だーまえやルーカスのような優れた作り手には、頭の中で自分の描きたい作品が明確にあり、それらの作品のテーマもぶれてないことが多い。

自分の中で描きたい作品を決め、自ら脚本を書き、作品を作るのがルーカスのやり方だ。"自分の描きたい作品"を作り上げることに囚われており、ファンの意見より"自分の考えを優先"にする。その作品作りは徹底していて、所謂、ファンサービスやオマージュも必要最低限にしかやらない。その結果、"ファンが求めている作品"とかけ離れているものになった。当然批判の嵐だ。

それに対してだーまえは、"ファンの声"を何より気にする。先の記事を丸々引用するが、だーまえ作品には一貫して「どんな困難な事があっても、全力で頑張って生きていこう」というテーマがある。このテーマを伝えるのが彼にとって大事なことなのだ。"泣きゲー"だの"泣けるアニメ"だの言われるが、不幸まみれなキャラクターたちに同情して"泣く"のではなく、"必死に生きるキャラクターたち"に胸を打たれてほしいのだ。

これは人によるが、"キャラクターの死"が"涙"に直結するのもだーまえの狙いじゃないだろう。「どんな困難な事があっても、全力で頑張っていこう」の結果に"死"が待っているだけだ。

 

智代アフター 〜 It's a Wonderful Life〜」 

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"麻枝色"が強いと言われる作品でもある「智代アフター」。皆が知ってる通り、この作品はボロクソに叩かれた。未だに「智代アフター」だけは、認められないと言う人がいる。しかし、この作品は"だーまえ自身が最も描きたかった作品"とも言われている。結果的に、KanonAIRCLANNADで獲得したファンの何割かは、「智代アフター」でkeyから離れていった。この時点で、"だーまえとファンの相違"があったのだ。麻枝色の強い作品なのに、ファンが離れていったのは"相違"が影響しているんだろう。だからこそ、麻枝色の強い「智代アフター」が最高傑作だと言う人もいる。残念ながら離れていったファンたちは、自分たち(ファン)の求めている作品と「智代アフター」に違いがあり過ぎたのかもしれない。

また「智代アフター」がバッドエンドだと言う人も多い。自分はバッドエンドだとは思わないが、そういう意見があるのもしょうがないとも思う。感情移入出来なかった人たちは、バッドエンドだから低評価にしていることも多かった。続くリトバスでもだーまえは、キャラクターの全滅エンドを当初企画していたらしいが、そんなことをしていたらファンが余計に去っていたかもしれない。

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だーまえという人は、「どんな困難な事があっても、全力で頑張って生きていこう」のテーマを伝えるためには、キャラクターたちの生死は厭わないのだ。その結果、主人公やヒロインが死んでしまうことがある。

 

Angel Beats!もそのテーマに沿って出来ている作品だ。最終的にはキャラクターたちが、生きることに前向きになっている。すでに死んでしまっている彼らは、再び人生を歩み、全力で生きようとするのだ。リトバスでは、麻枝色がやや控えめな印象だが、ABはそんなことないだろう。結局、ABも批判が多い。そもそも尺が短い、キャラクターが多すぎる、設定が雑、まずアニメとしてどうなんだ?っていう批判も少なくない。もう一度言うが、リトバスより麻枝色が強いのは、確実にABだ。理不尽な人生に立ち向かい、再生を描く。

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しかしまたしても麻枝色の強い作品が叩かれた。尺の問題かもしれないが、主人公である音無に感情移入出来なかった人も多かったようだ。これは「智代アフター」のキャラクターたちに感情移入出来なかったのと同じかもしれない。

 

その後、ABの反省を活かしCharlotteを作っている。が、Charlotteに至っては、ABより評価が低い。

 

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Charlotte最終回後の感想メールが、「友利が可愛かった」というものばかりだったとだーまえは明かしている。この感想はだーまえにとって無意味、というかテーマが伝わってないと受け取っただろう。Charlotteは主人公の乙坂有宇のための話である。彼の成長を描いている。ヒロインの友利は乙坂を支えるための存在でしかない。

特に最終回では、乙坂以外のメインキャラは最後の最後まで出てこない。意図的に"乙坂"だけをフューチャーしていたんだろう。Charlotteは乙坂が、全力で生きようとする話だからだ。それなのに感想が「友利が可愛かった」ばかり。いや、確かに友利は可愛いけども・・・可愛すぎるのも罪だったようだ。

 

あまり指摘してこなかったが、だーまえは批判を浴びると凹みまくる。

智代アフター」の批判で、休職ギリギリまで追い込まれたというのは有名な話だ。

自分が描きたい作品でテーマをきちんと伝える。そしてその作品を認めてもらいたい一心なんだろう。認められるまで作品作りをやめないんじゃないだろうか。

 

ファンの意見を最も気にするのに対して、"自分が描きたい作品"と"ファンが求めている作品"が一致しないのはなんとも言えない気持ちになる。

自分の思いを全力でぶつけた「智代アフター」がボコボコに叩かれたわけだ。「智代アフター」のような自分の最も描きたかった作品で、ファンに認めてもらいたのが本音だろう。だーまえ自身、昔のファンを見返してやりたいと思っているのかもしれない。

最新作のSummerPocketsでは"麻枝色"がどれだけ出ているのか、また"古き良き作品(AIRCLANNAD)"と"だーまえが描きたい作品"の二つをうまいことハイブリッド出来るか。サマポケにはその辺りを注目していきたい。

 

key作品に求めてることは、ファンそれぞれなのかもしれない。ファンというのは、うるさくめんどくさい生き物だ。今一度我々ファンが、だーまえに"何を"期待しているのか、"だーまえが描きたい作品"とは何なのか、考えてみるべきなのかもしれない。そして、"我々ファンが求めている作品"と"だーまえが描きたい作品"は、必ずしも一致するとは限らないことを頭に置いとくべきだろう。

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