Key作品リトバス考察 描かれなかった恭介の葛藤と計り知れない苦悩
⚠︎この記事にはリトルバスターズ!のネタバレを含んでいます。
今回は、リトバスの立役者、棗恭介に焦点を当てつつ"彼の思い"や"葛藤"を考察していきたい。
棗恭介とは、リトバスにおいて一番のイケメンである(小並感)。
恭介は、メインヒロインの鈴の兄貴で、"頼れる存在"として描かれている。
そんな恭介の"葛藤"について。恭介の"葛藤"は終盤にかけて、色々明かされたが、はっきり言って説明不足ではないかと思っている。もっといろんな"葛藤"があったはずだ。恭介に限った話じゃない。終盤、自分らの役割を果たしたと思い込んだ一部のヒロイン勢が"撤退する"展開がある。いやいやいやいやいやいや(理樹風)。みんなびっくりするくらい、自らの"死"を受け入れたのだ。多少葛藤しているヒロインもいたが、、、
「いやだ、まだ死にたくない。もっとここでみんなと遊んでいたい」と涙しながら言うのが普通だろう。
これは「Angel Beats!」とは大きく違うポイントだ。ABのキャラクター達は、死を含めた自らの人生に納得していないし、受け入れてもいない。
だからこそ、死んだ世界戦線のメンバーは"神"という存在を信じ込み抗い続けていた。
でもまあ、key作品に"葛藤"を求めるのは御門違いなのかもしれない。
かつて"あの花ブーム"を巻き起こした「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」という作品では、メインキャラクターの全てが、"後悔と自責の念"を抱いており、見事なまでに"葛藤"を描いていた。
それに対してkey作品は、葛藤描写をそれほど意識していない節がある。ゲームだから無理もない、リトバスで描かれていた葛藤のほとんどが、理樹か鈴を通して我々ユーザーに伝わってきた(一部例外あり)。理樹と鈴がユーザーの"目"なのだ。
もっとも、オリジナルアニメである、Angel Beats!やCharlotteでも葛藤を意識しているようには見えなかったので、単純に苦手分野なのかもしれない。
つまり棗恭介の葛藤は計り知れないもので、我々鍵っ子の知らないところで、彼は悩み苦しんできたのだ。
話が脱線しまくりだったが、ここから本題に入ろう。
①「"頼れる兄貴分"というイメージに苦しめられた恭介」
幼い頃の恭介は愛する妹、"鈴のために"リトルバスターズを結成した。他でもない鈴のために。一人ぼっちだった鈴に"友人"を与え、"仲間"を作った。その行為の全ては、"鈴のため"だった。幸か不幸か、この行為こそが恭介=頼れる兄貴分というイメージを作ってしまった。少なくとも理樹のイメージでは、頼れる存在で、面白くて、頭も良くて、なんでもこなすのが恭介だろう。だが実際は、恭介だって子供だ。年齢だって一つ上なだけだ。恭介自身、「俺だって失敗くらいする」と漏らす場面がある。これは恭介の"本音"だろう。
「俺は、お前たちが思っているほど凄い存在じゃない」
「お前たちと同じようにどこかしらに欠陥があって、出来ることにも限りがあるんだ」
これを言いたくて仕方がなかったかもしれない。そもそも、理樹と鈴のために"頼れる兄貴分"の役割をこなしていただけで、2人がある程度大人になったらこれを言ってもおかしくないだろう。"頼れる兄貴分"でいなければならない、2人のことを"絶対に守る"。だが実際は、恭介も諦めかける時がある。引きこもりモードの恭介は、"諦めたい"と"2人を守りたい'で揺れていたのだ。それこそが"葛藤"だった。理樹と鈴のイメージと、恭介にある弱い部分が彼自身を苦しめていた。
②「"理樹と鈴"、どちらを優先にするかで葛藤していた恭介」
以前どこかの記事で、「恭介が本当に救いたかったのは理樹か鈴か」というのを見たことがある。その記事はともかく、恭介の中では"理樹と鈴"、どちらを優先にして守るか、育てるか、2人の意見を潰して自分の考えを突き通すか、これらが頭の中にあったはずだ。
「二兎を追う者は一兎をも得ず」ということわざがある。繰り返すことが出来る世界とはいえ、理樹と鈴、彼はどちらを取るかで悩んでいたんじゃないだろうか。何もかも自分の思い通りだったとは言いがたい。特に、交換留学生の時は理樹がいなくても大丈夫か鈴を試していたが、完全に失敗に終わった。これを行なった理由は、これからの将来、常に2人でいるとは限らないからだ。この試練は、理樹より鈴のためだった。
もともと、リトルバスターズを作ったのは鈴のため、兄妹愛だ。しかし、鈴と同じくらい弱い理樹のことをほったらかしにするわけにはいかなかったのだろう。なおかつ理樹の成長が鈴の成長に影響にしていた。バランス良く、2人を育てるのは至難の技だ。親友を優先にするか、愛する妹を優先にするか。ついぞ表に出なかったが、虚構世界を作るにあたってこれも確実に恭介の頭を悩ませただろう。(もちろん、2人両方を救いたかったと考えるのが自然だが、それでは考察にならないので、あえてその考えは排除した。)
この2つは、あまり描かれなかったことだが棗恭介を語る上で大事なことだろう。これ以外にも彼に様々な葛藤や、計り知れない苦悩があったのは間違いない。また恭介は、理樹や鍵っ子が思ってるほど"大人"ではなく、遊びと楽しいことが大好きな"普通の高校生"ということを忘れないでほしい。