緋色流 レビュー&考察

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Key作品考察 リトバスとAB 似てるようで似てない2作品の違い

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Key作品考察 リトバスとAB 似てるようで似てない2作品の違い

⚠︎ この記事には、Angel Beats!リトルバスターズ!のネタバレを含んでいます。

 

リトルバスターズ!Angel Beats!、似ているようで似てない印象がある。

もしかすると、2作品の雰囲気が似てるからこそ両方とも大好きという人も多いかもしれない。でも、管理人的には結構違うんじゃないかなと思っている。2作品の違う部分を以下にまとめてみよう。

 

①「キャラクターたちの、"死に対する認識"」

 

まず、圧倒的に違うのがこれ。以前指摘したが、リトバスのキャラクターたちは、大なり小なりあるとはいえ"バスでの事故"をあっさり受け入れた(一部例外あり)。途中、役目を果たし、死を受け入れたヒロインたちがあっさりと撤退する展開があるが、正直、もう少しいい演出に出来なかったのかとも思う。死を含めて我が生涯に一片の悔いなしだったのか??何にせよ、彼女たちは自分の"人生"を受け入れたということだろう。

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逆にABのキャラクターは、自分の人生を受け入れていない。音無だって、"電車の事故後"の記憶を思い出さなきゃ、"自分の死"を受け入れていたかどうか怪しい。戦線メンバーは"理不尽かつ報われない人生"だったことに、"怒り"という感情を持っている。曲がりに曲がって、その怒りが"神への復讐"になっていた。そう、"天使との戦い"への発展である。リトバス連中は、友情に亀裂が入ろうが"撃ち合い"をすることはなかった。

まずこの時点で、2作品は明らかに違うのが分かる。

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②「キャラクターたちの"立ち振る舞い"」

 

リトバスは、典型的な"One for all, all for one(一人はみんなために、みんなは一人のために)"作品である。ヒロインの問題を解決することが、リトルバスターズのためになっているのだ。一人のヒロインは、リトルバスターズという仲間のために問題を解決し、リトルバスターズは、一人のヒロインのために問題を解決しようとする。この"流れ"は言わば三銃士的考えである。

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それに対して、ABのキャラクターは好き放題やってるイメージがある。また、誰かのためにではなく、自分自身のためにやっている行動も多い。

ゆりっぺは戦線メンバーのために、戦線メンバーはゆりっぺのために行動してるという考えも、あながち間違いではないが、どちらかというと、ゆりっぺの"わがまま"に立華奏を含めたあの世界の住人が振り回されていることが多かった。消えたメンバーも、自分自身の願いを叶え去ったのであり、自分の役目を果たして去ったリトバス勢とは違う。

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③「"麻枝准"の存在、"麻枝色"の濃さ」

 

当初、リトバスだーまえは"全滅END"の企画をしていたらしい。しかし、その結末は猛反対されたためボツ案になってしまった。「智代アフター」の批判を考慮した結果、"麻枝色"を控えめにしたのだろう。つまり、世に出てきたリトバスは、"だーまえの作りたかった作品"とは違ったかもしれないことを、頭に叩き込んでおいてほしい。

一方でABは、だーまえの意見がかなり尊重されている。主人公の音無だけが取り残されるシーンは、アニメとしてはかなり異質だが、だーまえファンからすればそれほど気にならなかった。

放送する数年前からABの企画はあったようだが、 リトバスで出来なかったこと、描けなかったことをABでは全面に出している。そのテーマには、はるかにリトバスよりだーまえらしさがあった。だーまえリトバスこそが、ABなのかもしれない。

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細かな設定に類似性はあるが、①②③を読んでもらえば分かる通り2作品の本質的な部分は全然違う。

 

最後にどちらが優れているかについて。あくまで個人の考えだが、管理人的に優れているのはリトバス(もちろん、ゲームのこと)、好きなのはABである。

 

 

皆さんは、"2作品の違い"をどう捉えていますか?似てるようで似てない