Angel Beats!考察③ AngelPlayerを含めた荒い設定はなんだったのか?
⚠︎ この記事は、Angel Beats!のネタバレを含んでいます。
ずいぶん間が空いてしまったが、①と②の記事の続きなので、そちらから読んでもらえるとありがたい。
Angel Beats!考察① Angel Beats!とはなんだったのか 製作陣の狙いとは?? 鬼門はCLANNAD超えだった→http://hiirow.hatenablog.com/entry/2018/02/11/120654
Angel Beats考察②本当のテーマと伝えたかったこと それは一番の宝物にあった→http://hiirow.hatenablog.com/entry/2018/02/12/111516
AB考察の第3弾は、AngelPlayerを含めた、"荒い設定"の意味を考察していく。
今でこそ、ABを再評価する声も少なくないが、当時はボッコボコに叩かれていた。管理人自身、"尺バランスの悪さ"や"キャラクターの扱い"などにびっくりしたが・・・だが、それらを差し置いて当時ネットで叩かれていた最大のポイントは、あの"独特な世界観"にあった"矛盾だらけの設定"だった。
そもそも麻枝准作品とは、"怒涛の展開"を迎えることがあっても、それらの設定が"乱雑"だった印象はあまりない。その気になれば、AIRやCLANNADで描いたように、うまいこと設定を活かせたはずだ。
ではなぜ、ABでは穴だらけの"設定"が目立っていたのか。批判が相次いだ設定にどんな意味があったのかを分析していこう。
①「意図的に"矛盾溢れる設定"にした説」
だーまえの技能が衰えていなければ、この説は普通にあり得るだろう。なぜ矛盾だらけにしたか?その方が鍵っ子が盛り上がるからだ。理由はこれに尽きる。言ってしまえば、"話のネタ"みたいなものだ。アニメ放送中は、ファン同士議論し合って、大いに盛り上がる。盛り上がることによって、視聴者が増える可能性だって出てくる。"矛盾"というのは、逆に"答えがない"と言っても過言じゃない。残念ながら、人間という生き物は、"答えがない"問題でも"答えを考え求め続ける"習性がある。AngelPlayer誰なのか、これも答えがない問いだ。答えがわからないこそ、余計に考えてしまう、だーまえは意図的にそれを狙っていたのかもしれない。
②「他作品から影響を受けすぎた説」
ABには元ネタ的作品がある。知ってる人も多いかもしれないが「灰羽連盟」という作品を意識して作られた。「serial experiments lain」や「NHKにようこそ!」などで知られる、安倍吉俊が原作の作品だ。
「灰羽連盟」はABと同じく、"死後の世界"を舞台にしていて、登場するキャラクターも決して"良い人生"を送ってきたとは言いがたいものばかり。
その内容は、非常に"複雑かつ難解"で"死んだ世界"での設定も、"謎"だらけである。
だーまえのテーマに、「灰羽連盟」のような作品を掛け合わせようとした結果、バランスが崩れ、設定とテーマがおろそかになってしまった疑惑がある。言いかえれば"オマージュの失敗"だ。
余談だが、灰羽連盟の方がABより優れた作品だと管理人は思っている。
AB屈指の謎であるAngelPlayerと主人公の音無の関係についてあれこれ考察していたら、管理人の頭の中に、ある作品が思い浮かんだ。「ブレードランナー」だ。
ブレードランナーとは、フィリップ・K・ディックのSF小説「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」が原作のカルト映画である。
ざっくりあらすじを説明すると、警官である主人公のデッカードが、脱走したアンドロイド(通称レプリカント)を捕らえようとする話なのだが、、、実は、主人公のデッカード自体がレプリカント(レプリカントとは人造人間、人間の見た目をしたロボットみたいなもの)なんじゃないかという説がある。というのも、作中それを連想させる場面がいくつもあるからだ。これはABの12話にて、謎の青年の話を聞き、"音無=AngelPlayer"を連想させたのと同じイメージでよく似ている。
ブレードランナーの恐ろしい点は、"デッカード=レプリカント"or"デッカード=人間"かで、監督と主演俳優の考えが食い違っているところだ。なおかつAB同様、明確な答えが表示されないため、35年近くファンはそれについて議論しているのである(笑)。
因みにブレードランナーは、「攻殻機動隊シリーズ」に多大な影響を与えたと言われている。興味がある方はぜひ見てほしい。
ただし、だーまえがブレードランナーを知っているかどうか不明なので、ABとブレードランナーの類似性は偶然の可能性の方が高いだろう。
③「そもそも深い意味はなかった説」
そもそもABのテーマとは、今までのだーまえ作品同様、「どんな困難なことがっても、それから逃げず一生懸命頑張って生きる」なのだ。このテーマに大きく影響してくる"設定"(AIRやCLANNADのような)だったら、もっと上手く描くだろうし、AngelPlayerなんかも、終盤に"少し"登場するのではなく、きちんと最初から出すはずだ。
AngelPlayerが誰かなんてどうでもいいだろう、だーまえからすれば先のテーマを伝えるのが一番大事でその他の"設定"は二の次。しかし、ファンが気にするのはテーマではなく、AngelPlayerを含めた設定ばかり。ABに"自殺防止"のメッセージが含まれていることなんて、AngelPlayerの事を気にしていたら、気づかないだろう。次作のCharlotteは設定を、比較的分かりやすくした印象があるが、それはテーマを優先に伝えたかったからかもしれない。深く考えず、良くも悪くも複雑な設定も繋げ合わせて出来たのがABだったという説だ。また、肝心なキャラクターたち自身が、あの世界での設定を深く気にしてないのもポイントだ。
個人的には③であってほしいと願っている。履き違えてる人が多いが、あくまで大事なのは"テーマ"だ。
「不幸まみれで報われない最期を迎えたキャラクターたちが、再び辛く苦しいことがある人生に立ち向かう」ことが大事なのだ。