緋色流 レビュー&考察

鑑賞したアニメや洋画のレビュー、考察などをするブログです。

Key作品Charlotte考察 サラ・シェーンの謎 サラはタイムリープ能力者だったのか

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Charlotte屈指の謎、サラ・シェーンについて。サラの"能力"や彼女の"役割"などを考察していきます。多分、サラについて謎に思っている人も多いだろう。また、その謎の部分に魅力を感じた人も多い。

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サラ・シェーンとは世界的に人気がある"ポスト"ロックバンドZHIENDのボーカリスト。その見た目は、どこかの"死んだ世界"でガールズバンドを組む岩◯さんに酷似している。というか、中の人であるCV(沢城みゆき)と歌(marina)は完全に同じだ。

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サラが、主に活躍するのは8話。それ以外にも出たりするが、歌ばかりでサラのことが分かるのは8話だけだ。そんな8話で、サラは"意味深な発言"ばかりして、大量の"謎"を残して終わった。以後彼女にきちんとした出番はない(ライブシーンは除く)。


Charlotte放送当時は、"サラが再び登場し、ストーリーに大きな影響を与えるんじゃないか"なんて言われていたが、一切そんなことはなかった。

そのため、"謎"は全て丸投げで、困惑する視聴者が続出したのである。

 

サラが残していった"情報"を、ピックアップしてみよう。

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・かつては目が見えたが、今は全盲

 

・本人曰く、神に視力を支払った

 

・夢を叶えるのに失敗したが、"ズル"をして成功を掴んだ

 

・"ズル"する前のサラは、歌もギターも下手だった

 

・弟が金目的で誘拐されたことがある

 

これらの情報はサラ自らが語って判明したことだ。しかし、サラは比喩表現を使用しているため、真実が分かりづらいようになっている。

 

今の所、"ズル=タイムリープ能力説"というのが有力である。流行りの音楽を記憶し、過去に戻り一躍有名になった。弟が拉致された時もタイムリープをし、問題を解決した。タイムリープを繰り返した結果、サラは視力を失ったという説だ。

 

ZHIENDの曲「trigger」もタイムリープを示唆しいるのではないかと言われている。

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また、乙坂隼翼もかつてはタイムリープ能力を持っていたが、能力を乱用した結果、視力を失った。これらの情報が頭に入っていると、"ズル=タイムリープ能力"を連想しがちだ。

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サラがタイムリープ能力を持っていたと仮定しよう。タイムリープ能力所有していた場合、疑問点が出てくる。

 

疑問①「タイムリープ出来ないのに、なぜZHIENDは未だに人気なのか」

能力をフル活用して、ようやく手に入れた"立場"のはず。それなのに、能力を失った今でも、そこそこ人気があるじゃないか。イギリス人が日本でライブ出来るなんて十分すぎるほど売れているだろう。あの人気っぷりは相当じゃないだろうか、異国の地でライブをやってあんなに盛り上がるなんて大したもんだ。

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ネットでは、「サラは音楽のトレンドを記憶して、タイムリープをし、未来の曲をパクったおかげで売れることが出来たのでは?」とよく言われているが、もしそうなら、能力を失ったら最後、トレンドがわからなくなり、自然と人気が下がるはずだ。にも関わらず、未だに人気があるのはおかしい。

いや、"トレンドを記憶し、過去に戻った"は、ミスリードで、彼女は実力で一躍に有名になったのかもしれない。幼い頃に戻り、歌唱力とギター技術を高めるために、相当特訓したのなら、能力を失ってもそれなりに食っていけるのかもしれない。

 

疑問②「タイムリープ能力で、弟を助け出せるのか」

不可能じゃないだろう。だが、よく考えてほしい。Charlotteでは誰かを救出する際や、その場を打開するために"タイムリープ能力"を使っていたが、それは能力者の協力があって成し遂げることが出来た。

乙坂が一人で海外テロ組織と戦った時、彼はタイムリープをしようとしたが見事に失敗した。相手がガチ勢だったし、彼一人では相手が悪すぎた。

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サラの弟を拉致した奴らもそれなりに"動ける"連中だったはずだ。そんな相手から弟を守り切るのは決して容易ではない。タイムリープを繰り返し、全盲になれば尚更だ。全盲になった時点で、タイムリープは使用不可能。

ループ作品を見たら分かると通り、タイムリープ能力を使い、誰かを守ろうとするのは至難の技だ。

実は、サラには能力者の仲間がいたんだろうか。視力の衰えた一人の少女が、弟を守り切ったとはにわかに信じがたい。

 

疑問③「同じ能力は存在するのか」

百歩譲って①②は"サラが頑張った"で納得出来る。ただこの③だけは解せない。なぜなら、タイムリープ能力を持っているのは隼翼だからだ。似たような能力こそあっても、全く同じ能力はなかったはず。だからこそ、強力な能力を持つ乙坂有宇は狙われやすかったのだろう。

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「サラと隼翼は微妙に違う能力かもしれないだろ!!」とツッコミしたくなるかもしれないが、タイムリープにそんなバリエーションがあるとは思えない。

だいたい、Charlotteタイムリープはかなり使い勝手が悪い。なぜかって?未来に飛べないからだ。正確に言うと、未来に行けるのはせいぜい"思春期を拗らせてる時期まで"。下手に行きすぎると、能力そのものを失った年齢に飛ぶ可能性がある。その年齢に飛べば、タイムリープはもう二度と出来ないだろう。

つまり、タイムリープ先はほとんど"過去"で、どう考えてもタイムリープの種類は1パターンしかないのだ。

 

もしかして、案外同じ能力は存在するのか??

能力が身につくのは、彗星が影響している。周期があって、その度、能力を発症する若者が出る設定だ。それを考慮すると、サラは隼翼よりもう一つ前の周期によって、能力を発症した可能性がある。

 

「彗星の影響で発症する能力は毎回同じだが、発症する能力の中に同じものは存在しない。」

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言葉を変えると、同じ時代に同じ能力は存在しないということだ。

例えるなら、サラを能力発症第一世代(正確には、彗星は定期的に地球に近づくため第一世代ではない)だとすると、乙坂兄弟や生徒会メンバーは能力発症第二世代ということだ。しかし、サラの年齢が不明な以上、この考えは少々強引である。しかも、彗星の周期は75年だ。やはり無理がある。

 

以上の3つは、"サラ能力=タイムリープ"だった場合の疑問点である。

これらを踏まえると、サラの所有していた能力は"タイムリープ"ではないようにも思える。ループ作品の醍醐味だが、タイムリープというのはそれほど便利なものではなく、"より良い未来にしようとした結果、むしろ余計に悲惨な状況に陥ること"はよくある。サラが完璧に能力を使いこなしていれば別だが、全盲になったことから、それほど上手く使えてなかったことがわかる。

確かに、現状では"タイムリープ説"が有力なのも無理はないが、これらの"疑問"を考慮すると、とてもじゃないが決めつけられない。

 

ここまで盛大に考察してきて言うのもあれだが、サラが能力を所有していたかどうかは明かされていない。また、能力を持っていても、乙坂有宇のような"略奪"的な力でもおかしくないだろう。略奪的な能力であれば、能力発動の際、目を使い、結果的に視力を失うからだ。もしくは、音楽に関係する能力かもしれない。

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タイムリープほど有力ではないが、それらの可能性も十分ある。

どちらにせよ、サラの能力は"謎"で、あれこれ考えてもはっきりとした答えは出ない。能力以外にも、サラには謎が多い。Angel Beats!で言うと、サラはAngelPlayer的な存在なのだ。つまり、答えが出ない存在ということ。

 

では、サラに与えられた役割は何だったのか。それは台詞の通りだ。

「ズルい手段を使えば、必ず対価が必要になるんだぜ」

それを乙坂有宇や我々視聴者に伝えるのが彼女の役割だった。それをきちんと伝えることが出来たのだから、彼女は役割を果たしたと言えるだろう。おそらくその後、ライブシーン以外、サラに大きな出番がなかったのも、役割を果たしたので登場させる必要がなかったからかもしれない。

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グダグダになってしまったが、以上がサラ・シェーンの考察だ。謎やら疑問ばかりが印象的だったが、きちんと役目を果たし、素晴らしい曲を鍵っ子に届けてくれたので、このあたりで考察は"ZHIEND"しよう。

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Key作品planetarian考察 あの世界で星は何を意味するのか

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先日、アニマックスにて「planetarian 星の人」が放送されていた。keyの中では、比較的知名度の低い作品なので、アニマックスで初めて見た人も多いかもしれない。

 

そもそも最初にゲームが発売されてから、もう14年近く経っているので知らない人が多いのも致し方ない。

アニメ化するまでに12年もかかったのだ。

 

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そんなplanetarianは、keyの中でも珍しくディストピア風な世界が描かれている。世界大戦の爪痕がいたるところに残っていて、世界の秩序は崩壊している。戦争から生き延びたわずかな人類は、ロボットたちから逃げ回るのに必死だ。

 

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皮肉なことに、ヒロインのほしのゆめみが社会問題について言及する場面がある。奇しくも、今現在我々が抱えている問題と同じだ。「今の社会問題を解決することが出来なければ、planetarianのような世界になる」というメッセージが込められているのかもしれない。

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そういったことを頭に入れつつ、本作の考察をしていこう。

 

考察「壊れかけたあの世界において、星には何の"意味"があるか」

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管理人が考察するに、あの世界の"星"は"希望"のメタファーだろう。

planetarianでは、常に雨や雪が降っているせいで、"星"は一切見ることが出来ない。だが、"星"は存在している。

"希望"もそうだ。直接見ることが出来ない、"星"と同じく不確かな存在。それでも諦めることがなければ、必ず見ることが出来る。星の数ほど希望はある。

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例え悪天候な日々が続いたとしても、例えプラネタリウムの電力が途絶えたとしても、屑屋が出来たように、"星"も心の中で見ることが出来るのだ。ゆめみの記憶(メモリー)には、雨や雪が降ってるような様子はない。戦争が始まる前は、星(希望)は見れたということだろう。また、希望を信じている人間も大勢いたんだろうし、世界も希望に溢れていたのかもしれない。

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屑屋が最初にプラネタリウムに訪れた時、「誰が星(希望)なんて・・・」という感じであった。彼にとって"希望"はなく、今を生きるのに必死だったのだろう。その一方で、彼は"星のペンダント"をしており、二重思考の持ち主とも言える。それが終盤では、「ゆめみと共に旅をし、生き残った人類たちに星(希望)を見せるのも悪くない」と考えていた。彼は"信じる心"を取り戻したのだ。そして年老いた後も、"星の人"になり、星(希望)を見せていた。

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残念ながら、"信じる心"を失った人間も多い。劇場版の「星の人」では、救いはなく、自分たちは滅びゆく存在だと思っている集落が登場する。"希望"を信じていないのだ。

 

皮肉なことに、ほしのゆめみは誰よりも"信じる心"を持ち合わせていた。人間ではない"ただのロボット"である。しかし、作中では彼女こそが、一番純粋な心を持っているような気がする。それはおかしい、ほしのゆめみは"ただのロボット"のはず。"腐りきった世界"で人類は"信じる心"を失い、いつの間にかロボットが人間より、心があるような行動を取っていたのだ。ゆめみは、一人になってもプラネタリウムに客が来ると信じていた。プラネタリウムが壊れても"誰かが"直しに来ると信じている。世界が壊れているとは思わず、自分自身が壊れていると判断する。人間のことを信じ続けていたんだろう。最終的に、屑屋が訪れたことによって、その思いは報われる。諦めず信じ続けた結果だ。

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「星の人」に出てきた3人の子供たちは、事あるごとに、祈り信じ続ける純粋な心の持ち主たちだった。祈りを捧げる相手は人間の産物(ロボット)だったが、そんなことは大事じゃない。

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"星の数ほど希望はある"

 

大事なのはこれだ。諦めず祈り信じ続けること。もちろん、解決するために"努力する"のも当然だ。本作では、ゆめみは"人"のことを信じ続けていたが、ついぞ何かを解決することはなかった。それにもメッセージが込められている。

 

"人間の問題は、人間にしか解決出来ない"

 

ロボットにはどうにも出来ない。出来るのは、せいぜい星(希望)の存在を教えることだけ。後は我々人類が努力しなくてはならない。今、環境問題を含めて様々な問題が世界には存在しているが、それを解決出来るのも今存在している人間だけだろう。

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さて、ここまで考察してきたが、planetarianは社会派作品ではないだろうか。こういう"ジャンル"のkeyも悪くない気がする。そういったことを踏まえて、ぜひ「planetarian」という作品を皆に触れてほしい。

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Key作品リトバス考察 小毬に与えられた役割と彼女の持つ理論

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以前、棗恭介の考察をしたところ、評判が良かったので、今回は小毬ちゃんverをやっていきます。

Key作品リトバス考察 描かれなかった恭介の葛藤と計り知れない苦悩→http://hiirow.hatenablog.com/entry/2018/02/24/130512

 

神北小毬とは、コマリマックスのことである(適当)。

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小毬は、何処と無く脆そうな部分(兄との問題を含めて)がある反面、非常に純粋な心の持ち主で、頑張り屋さんでもある。それは、Kanon月宮あゆAIR神尾観鈴CLANNAD古河渚などと同じだ。余談だが小毬は、月宮あゆ神尾観鈴古河渚と並んで「幸せになる番」のジャケットの表紙を飾ってたりするので、keyの中でも優遇されている。「幸せになる番」とは、ヴィジュアルアーツ20周年記念の曲で、作詞作曲は麻枝准、歌っているのはLia多田葵、Rita、茶太の4人。とんでもなく豪華メンバーになっていて、歌詞もKanonAIRCLANNADリトバスにリンクしている。

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リトバスは、鈴と小毬のダブルヒロインだと捉えている人も少なくない。

実際、"小毬に与えられた役割"は、他のヒロインたちとは明らかに異なっており、リトバスの中でもかなり優遇されているキャラだろう。

小毬に与えられた役割や、彼女の理論、鈴との関係について色々考察していこうではないか。

 

①「神北小毬に"与えられた役割"」

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なぜ、恭介は小毬をメンバーにしたのか。なぜ、一番最初に彼女を選んだのか。その答えは明確だ。鈴に"兄の死"から、立ち直れることを小毬から学んでほしかったのだ。小毬は兄を失って、鈴も兄を失う。比較的似た境遇だろう。リトルバスターズ加入直後の小毬は、"兄の死"を受け入れることが出来ていなかったし、それが彼女の問題でもあった。しかし、理樹がその問題を解決したことにより、小毬は"兄の死"から立ち直ることが出来た。"バスの事故"で、鈴は塞ぎこんでしまうかもしれない。そんな時、"親友"である小毬のことを思い出し、"死"から立ち直ってほしかったのだろう。恭介はそれを狙い、小毬を最初に選んだのだ。

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②「神北小毬の考え方、"幸せスパイラル理論"と"前向きマジック"」

 

「誰かが幸せになると、自分もちょっぴり幸せになるよね。

君が幸せになると、私も幸せ。私も幸せになると君も幸せ。

ずーっと、ずーっとくりかえして。ほら、幸せスパイラル。」

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以上が、小毬の"幸せスパイラル理論"である。「情けは人の為ならず」と同じだと思っていい。

 

以前、リトバスは、典型的な"One for all, all for one(一人はみんなために、みんなは一人のために)"作品だと指摘した。 "One for all, all for one"と小毬の"幸せスパイラル理論"の組み合わせは、非常に相性が良いだろう。一人のヒロインは、リトルバスターズという仲間のために問題を解決し、リトルバスターズは、一人のヒロインのために問題を解決しようとする。問題を解決したヒロインは、"幸せ"を得る、その"幸せ"はリトルバスターズ全員で分かち合うのだ。

小毬ばかりが唱えていた理論だったが、リトルバスターズはこの理論に基づいて行動を起こしていたとも捉えられる。"幸せスパイラル理論"を唱えていることを知っていて、その理論がリトルバスターズと優れた相性だと判断した上で、恭介は小毬をメンバーに選んだのかもしれない

 

"前向きマジック"について。

どうしても"幸せスパイラル理論"の方が話題になりがちだが、こちらも極めて重要である。

 

「なんか凹んじゃうようなことがあるとね、

それを口に出して最後に「ようし!」って付けるの。

ほらネガティブがポジティブに!」

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この"前向き思考"が、他メンバーにどれだけ浸透していたのか謎だが、メンバー全員に影響を与えている。バスからメンバーを救出する時に、"諦めなかった"のは"前向きマジック"のおかげだからだ。鈴は親友(小毬)の蘇生術を借り、あの場を切り抜けた。もしも、あの場で"前向きになる"という思考を鈴が持っていなかったらどうなっていただろうか?理樹はみんなを助け出そうとしていたかもしれないが、彼一人では上手くいかなかっただろう。"前向きマジック"がもたらした"奇跡"は、あの恭介ですら予想出来なかったことだ。

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神北小毬という心優しい少女がもたらした"幸せ"は、小毬を含めたリトルバスターズ全員を笑顔にしただろう。

 

小毬に与えられた役割は、他にも様々なものがある。それらに注目して再びプレイ(視聴)してもいいかもしれない。

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Key作品考察 リトバスとAB 似てるようで似てない2作品の違い

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Key作品考察 リトバスとAB 似てるようで似てない2作品の違い

⚠︎ この記事には、Angel Beats!リトルバスターズ!のネタバレを含んでいます。

 

リトルバスターズ!Angel Beats!、似ているようで似てない印象がある。

もしかすると、2作品の雰囲気が似てるからこそ両方とも大好きという人も多いかもしれない。でも、管理人的には結構違うんじゃないかなと思っている。2作品の違う部分を以下にまとめてみよう。

 

①「キャラクターたちの、"死に対する認識"」

 

まず、圧倒的に違うのがこれ。以前指摘したが、リトバスのキャラクターたちは、大なり小なりあるとはいえ"バスでの事故"をあっさり受け入れた(一部例外あり)。途中、役目を果たし、死を受け入れたヒロインたちがあっさりと撤退する展開があるが、正直、もう少しいい演出に出来なかったのかとも思う。死を含めて我が生涯に一片の悔いなしだったのか??何にせよ、彼女たちは自分の"人生"を受け入れたということだろう。

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逆にABのキャラクターは、自分の人生を受け入れていない。音無だって、"電車の事故後"の記憶を思い出さなきゃ、"自分の死"を受け入れていたかどうか怪しい。戦線メンバーは"理不尽かつ報われない人生"だったことに、"怒り"という感情を持っている。曲がりに曲がって、その怒りが"神への復讐"になっていた。そう、"天使との戦い"への発展である。リトバス連中は、友情に亀裂が入ろうが"撃ち合い"をすることはなかった。

まずこの時点で、2作品は明らかに違うのが分かる。

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②「キャラクターたちの"立ち振る舞い"」

 

リトバスは、典型的な"One for all, all for one(一人はみんなために、みんなは一人のために)"作品である。ヒロインの問題を解決することが、リトルバスターズのためになっているのだ。一人のヒロインは、リトルバスターズという仲間のために問題を解決し、リトルバスターズは、一人のヒロインのために問題を解決しようとする。この"流れ"は言わば三銃士的考えである。

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それに対して、ABのキャラクターは好き放題やってるイメージがある。また、誰かのためにではなく、自分自身のためにやっている行動も多い。

ゆりっぺは戦線メンバーのために、戦線メンバーはゆりっぺのために行動してるという考えも、あながち間違いではないが、どちらかというと、ゆりっぺの"わがまま"に立華奏を含めたあの世界の住人が振り回されていることが多かった。消えたメンバーも、自分自身の願いを叶え去ったのであり、自分の役目を果たして去ったリトバス勢とは違う。

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③「"麻枝准"の存在、"麻枝色"の濃さ」

 

当初、リトバスだーまえは"全滅END"の企画をしていたらしい。しかし、その結末は猛反対されたためボツ案になってしまった。「智代アフター」の批判を考慮した結果、"麻枝色"を控えめにしたのだろう。つまり、世に出てきたリトバスは、"だーまえの作りたかった作品"とは違ったかもしれないことを、頭に叩き込んでおいてほしい。

一方でABは、だーまえの意見がかなり尊重されている。主人公の音無だけが取り残されるシーンは、アニメとしてはかなり異質だが、だーまえファンからすればそれほど気にならなかった。

放送する数年前からABの企画はあったようだが、 リトバスで出来なかったこと、描けなかったことをABでは全面に出している。そのテーマには、はるかにリトバスよりだーまえらしさがあった。だーまえリトバスこそが、ABなのかもしれない。

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細かな設定に類似性はあるが、①②③を読んでもらえば分かる通り2作品の本質的な部分は全然違う。

 

最後にどちらが優れているかについて。あくまで個人の考えだが、管理人的に優れているのはリトバス(もちろん、ゲームのこと)、好きなのはABである。

 

 

皆さんは、"2作品の違い"をどう捉えていますか?似てるようで似てない

Angel Beats!考察③ AngelPlayerを含めた荒い設定はなんだったのか?

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⚠︎ この記事は、Angel Beats!のネタバレを含んでいます。

 

ずいぶん間が空いてしまったが、①と②の記事の続きなので、そちらから読んでもらえるとありがたい。

 

Angel Beats!考察① Angel Beats!とはなんだったのか 製作陣の狙いとは?? 鬼門はCLANNAD超えだった→http://hiirow.hatenablog.com/entry/2018/02/11/120654

Angel Beats考察②本当のテーマと伝えたかったこと それは一番の宝物にあった→http://hiirow.hatenablog.com/entry/2018/02/12/111516

AB考察の第3弾は、AngelPlayerを含めた、"荒い設定"の意味を考察していく。

 

今でこそ、ABを再評価する声も少なくないが、当時はボッコボコに叩かれていた。管理人自身、"尺バランスの悪さ"や"キャラクターの扱い"などにびっくりしたが・・・だが、それらを差し置いて当時ネットで叩かれていた最大のポイントは、あの"独特な世界観"にあった"矛盾だらけの設定"だった。

 

そもそも麻枝准作品とは、"怒涛の展開"を迎えることがあっても、それらの設定が"乱雑"だった印象はあまりない。その気になれば、AIRCLANNADで描いたように、うまいこと設定を活かせたはずだ。

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ではなぜ、ABでは穴だらけの"設定"が目立っていたのか。批判が相次いだ設定にどんな意味があったのかを分析していこう。

 

①「意図的に"矛盾溢れる設定"にした説」

 

だーまえの技能が衰えていなければ、この説は普通にあり得るだろう。なぜ矛盾だらけにしたか?その方が鍵っ子が盛り上がるからだ。理由はこれに尽きる。言ってしまえば、"話のネタ"みたいなものだ。アニメ放送中は、ファン同士議論し合って、大いに盛り上がる。盛り上がることによって、視聴者が増える可能性だって出てくる。"矛盾"というのは、逆に"答えがない"と言っても過言じゃない。残念ながら、人間という生き物は、"答えがない"問題でも"答えを考え求め続ける"習性がある。AngelPlayer誰なのか、これも答えがない問いだ。答えがわからないこそ、余計に考えてしまう、だーまえは意図的にそれを狙っていたのかもしれない。

 

②「他作品から影響を受けすぎた説」

 

ABには元ネタ的作品がある。知ってる人も多いかもしれないが「灰羽連盟」という作品を意識して作られた。「serial experiments lain」や「NHKにようこそ!」などで知られる、安倍吉俊が原作の作品だ。

灰羽連盟」はABと同じく、"死後の世界"を舞台にしていて、登場するキャラクターも決して"良い人生"を送ってきたとは言いがたいものばかり。

その内容は、非常に"複雑かつ難解"で"死んだ世界"での設定も、"謎"だらけである。

だーまえのテーマに、「灰羽連盟」のような作品を掛け合わせようとした結果、バランスが崩れ、設定とテーマがおろそかになってしまった疑惑がある。言いかえれば"オマージュの失敗"だ。

余談だが、灰羽連盟の方がABより優れた作品だと管理人は思っている。

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AB屈指の謎であるAngelPlayerと主人公の音無の関係についてあれこれ考察していたら、管理人の頭の中に、ある作品が思い浮かんだ。「ブレードランナー」だ。

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ブレードランナーとは、フィリップ・K・ディックSF小説アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」が原作のカルト映画である。

ざっくりあらすじを説明すると、警官である主人公のデッカードが、脱走したアンドロイド(通称レプリカント)を捕らえようとする話なのだが、、、実は、主人公のデッカード自体がレプリカント(レプリカントとは人造人間、人間の見た目をしたロボットみたいなもの)なんじゃないかという説がある。というのも、作中それを連想させる場面がいくつもあるからだ。これはABの12話にて、謎の青年の話を聞き、"音無=AngelPlayer"を連想させたのと同じイメージでよく似ている。

ブレードランナーの恐ろしい点は、"デッカード=レプリカント"or"デッカード=人間"かで、監督と主演俳優の考えが食い違っているところだ。なおかつAB同様、明確な答えが表示されないため、35年近くファンはそれについて議論しているのである(笑)。

因みにブレードランナーは、「攻殻機動隊シリーズ」に多大な影響を与えたと言われている。興味がある方はぜひ見てほしい。

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ただし、だーまえブレードランナーを知っているかどうか不明なので、ABとブレードランナーの類似性は偶然の可能性の方が高いだろう。

 

③「そもそも深い意味はなかった説」

 

そもそもABのテーマとは、今までのだーまえ作品同様、「どんな困難なことがっても、それから逃げず一生懸命頑張って生きる」なのだ。このテーマに大きく影響してくる"設定"(AIRCLANNADのような)だったら、もっと上手く描くだろうし、AngelPlayerなんかも、終盤に"少し"登場するのではなく、きちんと最初から出すはずだ。

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AngelPlayerが誰かなんてどうでもいいだろう、だーまえからすれば先のテーマを伝えるのが一番大事でその他の"設定"は二の次。しかし、ファンが気にするのはテーマではなく、AngelPlayerを含めた設定ばかり。ABに"自殺防止"のメッセージが含まれていることなんて、AngelPlayerの事を気にしていたら、気づかないだろう。次作のCharlotteは設定を、比較的分かりやすくした印象があるが、それはテーマを優先に伝えたかったからかもしれない。深く考えず、良くも悪くも複雑な設定も繋げ合わせて出来たのがABだったという説だ。また、肝心なキャラクターたち自身が、あの世界での設定を深く気にしてないのもポイントだ。

 

個人的には③であってほしいと願っている。履き違えてる人が多いが、あくまで大事なのは"テーマ"だ。

「不幸まみれで報われない最期を迎えたキャラクターたちが、再び辛く苦しいことがある人生に立ち向かう」ことが大事なのだ。

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Key作品リトバス考察 描かれなかった恭介の葛藤と計り知れない苦悩

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⚠︎この記事にはリトルバスターズ!のネタバレを含んでいます。

 

今回は、リトバスの立役者、棗恭介に焦点を当てつつ"彼の思い"や"葛藤"を考察していきたい。

 

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棗恭介とは、リトバスにおいて一番のイケメンである(小並感)。

恭介は、メインヒロインの鈴の兄貴で、"頼れる存在"として描かれている。

そんな恭介の"葛藤"について。恭介の"葛藤"は終盤にかけて、色々明かされたが、はっきり言って説明不足ではないかと思っている。もっといろんな"葛藤"があったはずだ。恭介に限った話じゃない。終盤、自分らの役割を果たしたと思い込んだ一部のヒロイン勢が"撤退する"展開がある。いやいやいやいやいやいや(理樹風)。みんなびっくりするくらい、自らの"死"を受け入れたのだ。多少葛藤しているヒロインもいたが、、、

「いやだ、まだ死にたくない。もっとここでみんなと遊んでいたい」と涙しながら言うのが普通だろう。

これは「Angel Beats!」とは大きく違うポイントだ。ABのキャラクター達は、死を含めた自らの人生に納得していないし、受け入れてもいない。

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だからこそ、死んだ世界戦線のメンバーは"神"という存在を信じ込み抗い続けていた。

でもまあ、key作品に"葛藤"を求めるのは御門違いなのかもしれない。

かつて"あの花ブーム"を巻き起こした「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」という作品では、メインキャラクターの全てが、"後悔と自責の念"を抱いており、見事なまでに"葛藤"を描いていた。

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それに対してkey作品は、葛藤描写をそれほど意識していない節がある。ゲームだから無理もない、リトバスで描かれていた葛藤のほとんどが、理樹か鈴を通して我々ユーザーに伝わってきた(一部例外あり)。理樹と鈴がユーザーの"目"なのだ。

もっとも、オリジナルアニメである、Angel Beats!Charlotteでも葛藤を意識しているようには見えなかったので、単純に苦手分野なのかもしれない。

 

つまり棗恭介の葛藤は計り知れないもので、我々鍵っ子の知らないところで、彼は悩み苦しんできたのだ。

話が脱線しまくりだったが、ここから本題に入ろう。

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①「"頼れる兄貴分"というイメージに苦しめられた恭介」

 

幼い頃の恭介は愛する妹、"鈴のために"リトルバスターズを結成した。他でもない鈴のために。一人ぼっちだった鈴に"友人"を与え、"仲間"を作った。その行為の全ては、"鈴のため"だった。幸か不幸か、この行為こそが恭介=頼れる兄貴分というイメージを作ってしまった。少なくとも理樹のイメージでは、頼れる存在で、面白くて、頭も良くて、なんでもこなすのが恭介だろう。だが実際は、恭介だって子供だ。年齢だって一つ上なだけだ。恭介自身、「俺だって失敗くらいする」と漏らす場面がある。これは恭介の"本音"だろう。

「俺は、お前たちが思っているほど凄い存在じゃない」

「お前たちと同じようにどこかしらに欠陥があって、出来ることにも限りがあるんだ」

これを言いたくて仕方がなかったかもしれない。そもそも、理樹と鈴のために"頼れる兄貴分"の役割をこなしていただけで、2人がある程度大人になったらこれを言ってもおかしくないだろう。"頼れる兄貴分"でいなければならない、2人のことを"絶対に守る"。だが実際は、恭介も諦めかける時がある。引きこもりモードの恭介は、"諦めたい"と"2人を守りたい'で揺れていたのだ。それこそが"葛藤"だった。理樹と鈴のイメージと、恭介にある弱い部分が彼自身を苦しめていた。

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②「"理樹と鈴"、どちらを優先にするかで葛藤していた恭介」

 

以前どこかの記事で、「恭介が本当に救いたかったのは理樹か鈴か」というのを見たことがある。その記事はともかく、恭介の中では"理樹と鈴"、どちらを優先にして守るか、育てるか、2人の意見を潰して自分の考えを突き通すか、これらが頭の中にあったはずだ。

「二兎を追う者は一兎をも得ず」ということわざがある。繰り返すことが出来る世界とはいえ、理樹と鈴、彼はどちらを取るかで悩んでいたんじゃないだろうか。何もかも自分の思い通りだったとは言いがたい。特に、交換留学生の時は理樹がいなくても大丈夫か鈴を試していたが、完全に失敗に終わった。これを行なった理由は、これからの将来、常に2人でいるとは限らないからだ。この試練は、理樹より鈴のためだった。

もともと、リトルバスターズを作ったのは鈴のため、兄妹愛だ。しかし、鈴と同じくらい弱い理樹のことをほったらかしにするわけにはいかなかったのだろう。なおかつ理樹の成長が鈴の成長に影響にしていた。バランス良く、2人を育てるのは至難の技だ。親友を優先にするか、愛する妹を優先にするか。ついぞ表に出なかったが、虚構世界を作るにあたってこれも確実に恭介の頭を悩ませただろう。(もちろん、2人両方を救いたかったと考えるのが自然だが、それでは考察にならないので、あえてその考えは排除した。)

 

この2つは、あまり描かれなかったことだが棗恭介を語る上で大事なことだろう。これ以外にも彼に様々な葛藤や、計り知れない苦悩があったのは間違いない。また恭介は、理樹や鍵っ子が思ってるほど"大人"ではなく、遊びと楽しいことが大好きな"普通の高校生"ということを忘れないでほしい。

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Key作品考察 なぜkey作品の評価は人によって違うのか

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今回は「なぜkey作品の評価は、人によって違うのか」について考察していく。

 

同じファン、同じ鍵っ子でも、作品の評価は人それぞれ。全てが傑作だと言う人もいれば、そうではない人もいる。

管理人の知人に"リトバス大好き"鍵っ子がいる。その知人は「AIR」からkey作品にどハマりしていったのだが、リトルバスターズ!が特に好きらしい。リトバスをプレイし終えた直後から、今でもリトバスが(その知人の中では)最高傑作らしい。今でこそ、リトバスの素晴らしさを理解出来るようになった管理人だが、当時はその感想というか知人の考え自体が自分の中で衝撃的だった。

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同じファンでも、作品の評価は案外人それぞれで、聞いてみると面白い。「なぜ評価/好みが分かれるのか?」それを分析していこう。

 

①「作品に触れた順が影響してる説」

 

これは評価というか、好みに影響するんじゃないだろうか。管理人が一番好きな作品はAIRなのだが、その理由はいたってシンプル。"最初にプレイしたから"である。結局、一番最初に触れた作品が一番印象的だったりする。最初に触れた作品というのは、"思い入れ"も強く、"特別な作品"になりがちなのかもしれない。初めてkeyの存在を知り、そこから鍵っ子になる。"触れた順番"は非常に重要なのだ。

因みに、AIRの次にプレイした作品はKanonだが、二番目に好きな作品もKanonである。

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②「麻枝准の"色"の濃さによって、評価が分かれる説」

 

シナリオライターだーまえの"クセ"、いわゆる"麻枝色"の濃さが好みや評価に大きく影響しているんじゃないかという説だ。好みを排除し、クオリティやだーまえのファンとして作品を選ぶなら、「CLANNAD」と「智代アフター」にする(あくまで個人の意見)。彼の作品に一貫しているテーマと言えば、「どんな困難なことがあっても、一生懸命頑張って生きよう」だ。それに胸を打たれなければ意味がない。しかし、そのテーマこそ評価を分け、賛否両論を生んでいること間違いなし。先ほど紹介した、リトバス大好きっ子の知人は、「"麻枝色"が強すぎるのもだめだ」と言っている。だーまえがそれほど関わってない作品が好きな人もいるし、その逆もあり得る。

"麻枝色"が濃ければ濃いほど、高評価の人もいれば、低評価の人もいるということだ。

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③「作品の"難解さ"や"複雑な設定"によって、評価が分かれる説」

 

例えばAIRは、その"難解"なストーリーが魅力的だったと言える。しかし、AIRをプレイしても"いまいち理解出来なかった"と言う人も少なくない。AIRが発売された時や、京アニ化した時は、その"小難しい設定"に魅了され、皆考察しまくりだった。だが、それはあくまで当時のヲタク達に刺さっただけだ。今の"ヲタク"は、むしろシンプルなストーリーを好む傾向にあるように思える。ゲームは何度も移植されてるから置いとくとして、AIR単体を再放送したら、初見で高評価する"今のヲタク"はどれくらいいるんだろうか。

もう一つ例をあげると、「Angel Beats!」も、"設定"で大きく賛否両論を分かれた作品だ。荒く矛盾だらけの設定だったABは、返ってあれこれ考察していまい、自分の中ではあまりマイナス要素にはならなかった。実際のところ、"死んだ世界"での設定はかなりめちゃくちゃだった。ネットを見ると、ツッコミの嵐。低評価にするのも無理はない。

そういった"難解なストーリー"や"複雑な設定"は、好みに影響をもたらすだろう。

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他にもキャラクターの魅力、ヒロインのルート、絵、音楽、作品そのものクオリティ等も、好み/評価に反映されている。特に上記①②③は、ファンの評価を左右するポイントになっているんじゃないだろうか?もちろん、どの作品にも違う魅力があるからこそ、好み/評価も変わってくるんだろう。

 

人によって評価は違い、どのkey作品も傑作であり駄作なのだ。

 

とりあえず「Key作品は人生」という強引な締め方で、この記事を終わらせたいと思う。

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